グレゴリー・クーペ

グレゴリー・クペGrégory Coupet, 1972年12月31日 - )は、フランス共和国オート=ロワール県ル・ピュイ=アン=ヴレ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー

グレゴリー・クペ
2020年のクーペ
名前
ラテン文字 Grégory COUPET
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1972-12-31) 1972年12月31日(51歳)
出身地 ル・ピュイ=アン=ヴレ
身長 182cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1997.1 フランスの旗 サンテティエンヌ 88 (0)
1997.1-2008 フランスの旗 リヨン 370 (0)
2008-2009 スペインの旗 A・マドリード 6 (0)
2009-2011 フランスの旗 パリSG 31 (0)
代表歴
2001-2008 フランスの旗 フランス 34 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2010/11シーズン終了時点現在。
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経歴

現役時代のクーペ

ASサンテティエンヌ

父親はゴールキーパーとしてプレーするプロサッカー選手であった。地元のクルブ・オリンピック・ル・ピュイでサッカーを始め、その後ASサンテティエンヌの下部組織に移った。1994年3月26日アンジェSCO戦 (2-0) でトップチームデビューした[1]。それから3シーズンでリーグ・アン通算88試合に出場し、1997年1月1日に最大のライバル・オリンピック・リヨンに移籍した。

オリンピック・リヨン

リヨンに移籍して数シーズンは控えGKとして過ごしたが、2001-02シーズンにレギュラーの座を獲得した。同シーズンはリーグ戦34戦すべてにフル出場して32失点に抑え、1試合当たりの失点率が1を切る素晴らしい数字を残すとともにクラブ初のリーグ優勝を果たした。また、同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグFCバルセロナ戦では2度の印象的なセーブを見せている。一つ目は、味方のバックパスが大きすぎてそのままゴールインしそうになったところをヘディングで枠外に弾き出して失点を防いだシーンであり、二つ目は、クロスバーに当たって跳ね返ったボールに対してリバウドが放った決定的なヘディングシュートを横っ跳びで防いだシーンである[2][3]。2001-02シーズンから2007-08シーズンまでのリーグ7連覇すべてを経験し、2002-03シーズンから2005-06シーズンまで4シーズン連続でリーグ最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

2007年8月2日、トレーニング中に左膝靭帯断裂の重傷を負い、4日後に手術を受けたが2007-08シーズン前半戦を棒に振った。またUEFA EURO 2008予選でも数試合を欠場している。後に彼はリヨンの公式サイト内の番組では2007年9月から10月にフランスで開催されたラグビーワールドカップを引き合いに出して自虐した。負傷から約5ヶ月後の2008年1月6日クープ・ドゥ・フランスUSクレテイユ=リュシタノ戦(4-0)で試合に復帰した[4]。シーズン終了後に契約満了で退団。11シーズンでリーグ戦通算370試合に出場し、クラブの黄金時代を支えた。

アトレティコ・マドリード

2008年7月4日スペインアトレティコ・マドリードへ移籍した[5]。移籍金は150万ユーロ(約2億4000万円)。しかしレオ・フランコからポジションを奪うには至らず、2008-09シーズンはリーグ戦6試合・UEFAチャンピオンズリーグ2試合の出場に終わった。

パリ・サンジェルマンFC

2009年6月29日パリ・サンジェルマンFCと2年契約を結び、母国復帰を果たした[6]リールに移籍したミカエル・ランドローの後継者として期待されたが、11月28日AJオセール戦でボールをクリアした後に芝に脚をとられ左足首を骨折[7]。チームメイトから「ストッキングから骨が飛出しているようだった」といわれるほどの重傷だったが、幸いにも脛骨や腓骨に損傷はなく最悪の事態は免れ、本人も現役続行の意思を表明した。2010-11シーズンは主にエデル・アプラ・エディマの控えとして過ごし、シーズン終了後に現役引退を発表した。

代表

2001年6月に日本と韓国で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001オーストラリア戦でフランス代表デビューした。この時すでに28歳であった。2002年には2002 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが、GKファビアン・バルテズの控えを務めたため出場機会はなかった。2003年のFIFAコンフェデレーションズカップ2003では3試合連続完封を記録し、最終的に5試合で3失点に抑えて優勝を果たした。準決勝のトルコ戦直前、リヨンでかつてチームメイトであり親友でもあったMFマルク=ヴィヴィアン・フォエが亡くなったことを知らされた際には、人目をはばからずに泣きじゃくった[8]。2002-03シーズンは契約問題のもつれに奔走させられていたが、もうプロサッカー選手としてプレーしない可能性も含めて、フォエの死が人生における新たな視点を与えてくれたと語っている。

2006 FIFAワールドカップ

2006年2月、フランス・フットボール誌は「2006 FIFAワールドカップの守護神には誰がふさわしいか」という読者投票を行い、バルテズの28%を遥かに上回る69%もの得票を獲得した[9]2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではバルテズが不祥事を起こして長期出場停止処分を受け、最初の10試合のうち6試合はクペが先発出場したが、レイモン・ドメネク監督は本大会でバルテズに背番号1を与え、クペは控えに回った。ドネメク監督が自身の好みでレギュラーを決めたなどの憶測がなされたため[10]、クペ支持の世論の後押しを受け、2006年5月25日、クペはトレーニングキャンプ中にドメネク監督に抗議したが、後に抗議を撤回している[11]。しかし、代表からの引退を表明した後、ドネメク監督のチームマネジメント方法を痛烈に批判した[12]

UEFA EURO 2008

2006年8月にバルテズが現役引退を発表したため、クペが正GKの座に就いたが、UEFA EURO 2008予選の最初の2試合(0-1で敗れたスコットランド戦と5-0で勝利したフェロー諸島戦)は負傷などで欠場した。UEFA EURO 2008本大会ではレギュラーとしてプレーしたが、3試合で6失点を喫し、グループリーグ敗退に終わった。

2010 FIFAワールドカップ

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではウーゴ・ロリススティーヴ・マンダンダが起用され、数試合にベンチ入りしただけだった。2010 FIFAワールドカップの出場メンバーにはロリス、マンダンダとセドリック・キャラッソが選ばれ、クペは選考から漏れた。2010年7月1日、正式に代表引退を表明。「UEFA EURO 2012が開幕する頃には39歳になる。ロリスとマンダンダがいる以上、もう私の出番はない。バルテズに関して言うと、彼は私にとても良くしてくれた。彼が引退した時は、4~6年間は私が背番号1を背負えるのではないかと思っていたが、そうはならなかった。それゆえに私は代表からの引退を発表し、いかなる場合もフランス代表のユニフォームを着ることはない」と語った。

評価

かつてオリンピック・リヨンやフランス代表の監督を務めたジャック・サンティニは、クペを「トレーニングの段階からチームに影響を与える人格者」と評している。2005年、IFFHSの世界最優秀ゴールキーパー投票では43票を獲得し、ペトル・チェフジーダジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ4位に選出された。すでに33歳であったが、トップ10に選ばれたのは初めてのことであった。また、2004年と2005年にはリーグ・アンの最優秀ゴールキーパー賞に選ばれている[13]

所属クラブ

タイトル

クラブ

代表

個人

  • リーグ・アン 最優秀ゴールキーパー賞 (4) : 2002-03, 2003-04, 2004-05, 2005-06

脚注

  1. L'Equipe – Gregory Coupet profile”. L'Équipe (1994年3月26日). 2011年4月28日閲覧。
  2. Kluivert Class Earns Barca Win Over Lyon”. The Washington Post (2001年10月10日). 2011年4月28日閲覧。
  3. Champions League – FC Barcelona 2 Olympique Lyon 0”. Wldcup.com. 2011年4月28日閲覧。
  4. Coupet on track for comeback
  5. フランス代表GKクペ、アトレティコに移籍”. livedoorスポーツ (2008年7月5日). 2011年6月14日閲覧。
  6. クペのPSG移籍が正式決定”. Goal.com (2009年6月30日). 2011年6月14日閲覧。
  7. 元フランス代表守護神、「ストッキングから骨飛び出す」重傷”. livedoorスポーツ (2009年11月30日). 2011年6月14日閲覧。
  8. Cameroon player collapses, dies”. The Age (2003年6月28日). 2011年4月28日閲覧。
  9. France Fans Vote Gregory Coupet”. Worldcuplatest.com. 2011年4月28日閲覧。
  10. フランス代表ドメネク監督に再び“謎めいた”発言 livedoorスポーツ、2007年10月17日
  11. Coupet storms out after Barthez dispute”. Rediff.com. 2011年4月28日閲覧。
  12. 仏代表引退GKクペ、ドメネクを痛烈批判「支配下に置かれる」”. livedoorスポーツ (2008年9月30日). 2011年6月14日閲覧。
  13. The World's best Goalkeeper 2005”. Iffhs.de. 2011年4月28日閲覧。

外部リンク

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