ミカエル・ランドロー

ミカエル・ヴァンサン・アンドレ=マリー・ランドローMickaël Vincent André-Marie Landreau, 1979年5月14日 - )は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県マシュクール出身の元サッカー選手。元フランス代表。現役時代のポジションはGK

ミカエル・ランドロー
名前
ラテン文字 Mickaël LANDREAU
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1979-05-14) 1979年5月14日(44歳)
出身地 マシュクール
身長 184cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1985-1992 フランスの旗 エトワール・アルトネーズ
1992-1993 フランスの旗 サン=セバスティアン=シュル=ロワール
1993-1996 フランスの旗 ナント
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2006 フランスの旗 ナント 335 (0)
2006-2009 フランスの旗 PSG 114 (0)
2009-2012 フランスの旗 リール 119 (0)
2013-2014 フランスの旗 バスティア 49 (0)
1996-2014 合計 617 (0)
代表歴2
1994-1995  U-16フランス 8 (0)
1995-1996  U-17フランス 2 (0)
1996-1997  U-18フランス 6 (0)
1996-1998  U-20フランス 14 (0)
1997-2002  U-21フランス 43 (0)
2001-2014 フランスの旗 フランス 11 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年8月7日現在。
2. 2014年8月7日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

クラブ

同じくGKだった兄に憧れてサッカーを始め、15歳の時にFCナントの下部組織に入団した。1996年10月2日SCバスティア戦でトップチームデビューを果たした[1]。正GKのドミニク・カザグランドが負傷離脱し、第2GKのエリック・ルスアールヌも精神面に問題を抱えていたために急遽訪れたチャンスだった。17歳74日でのデビューはリーグ・アンのGKとしては史上最年少であり、この試合ではリュボミール・モラフチクのPKを止めるなど活躍を見せた。カザグランドの復帰後もレギュラーの座を明け渡さず、1996-97シーズンは32戦連続無敗で3位という好成績を残した。20歳の時にナントのキャプテンに就任し、1999-2000シーズンと2000-01シーズンにはクープ・ドゥ・フランス連覇を果たした。2000-01シーズンのリーグ戦ではオリンピック・リヨンなどを抑え、6シーズンぶりのリーグ優勝を果たした。2003-04シーズンのクープ・ドゥ・フランス決勝のパリ・サンジェルマンFC戦では幾度ものセーブを見せ、PK戦では7人中3人のシュートを止めたが、味方の7人中4人がPKを外して準優勝という結果となった。

ナントとの契約は2006年で満了し、6月15日にフリートランスファーでパリ・サンジェルマンFCと4年契約を結んだ。PSGでは不動のレギュラーとして活躍し、リーグ戦は3シーズンで114試合に出場。欠場は0であった。

かつて代表でレギュラー争いをしたグレゴリー・クーペアトレティコ・マドリードから加入したため、2009年6月29日に3年契約でリールへ移籍した。しかし、移籍が発表された5日後の7月4日の練習中に着地を誤って右膝靭帯を負傷し、全治6ヶ月と診断された。その影響で2009-10シーズン序盤はリュドヴィク・ビュテルにポジションを譲ったが、10月31日グルノーブル・フット38戦で予定よりも3ヶ月早く復帰した。その後、チームは尻上がりに調子を挙げて最終的に4位に滑り込みUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2011年2月13日トゥールーズFC戦にフル出場して史上18人目となるリーグ・アン通算500試合出場を達成した[1][2]。2010-11シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場し、安定した守りでチームの57年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

2012年12月7日、リールとの契約を解除し、退団[3]12月23日SCバスティアとの契約が発表された[4]。2013年12月4日、ACアジャクシオ戦においてリーグ戦603試合目の出場を果たし、リーグ・アン歴代最多出場記録を更新。2014年5月、シーズン限りでの現役引退を表明した[5]

代表

U-15世代で初めて世代別フランス代表に招集された。U-21フランス代表ではキャプテンも務め、1997年のFIFAワールドユース選手権に出場した。

2001年には、代表キャップゼロながらFIFAコンフェデレーションズカップのメンバー入りを果たし、この大会のメキシコ戦でデビューを果たした。しかし翌年開催された2002 FIFAワールドカップには招集されなかった。その後、ファビアン・バルテズグレゴリー・クーペに次ぐ第GKとしての地位を確立し、UEFA EURO 20042006 FIFAワールドカップには共にメンバー入りするも出場機会はなかった。ワールドカップ終了後にバルテズが現役引退し、代わって正GKになったクーペが負傷により長期離脱したため、UEFA EURO 2008予選途中からは正GKを任された。しかし、レイモン・ドメネク監督から信頼を得ることはできず、クーペの復帰後は再び控えに戻っている。さらにクラブでは不調に陥り、スティーヴ・マンダンダセバスティアン・フレイに押し出される形でUEFA EURO 2008本選のメンバーから落選した。

その後はマンダンダのほかにウーゴ・ロリスセドリック・カラッソが台頭しこの3人の前に代表入りを果たせずにいたが、2012年9月8日に約4年ぶりの代表復帰を果たした。

プレースタイル

反応スピードや判断力、ポジショニングなど、ゴールキーパーに必要な素質をバランスよく備えている[1]。足下の技術に自信があり、積極的にゴールマウスから飛び出すプレーも特長である[1]。PKストッパーとして知られ、デビューから2010-11シーズン途中までの約15年間で、フランス最多となる公式戦通算37本のPKを止めている(PK戦を含む)[1]

所属クラブ

個人成績

PSG時代
リール時代
2014年5月16日現在[6]
クラブシーズン出場得点
ナント 1996-97290
1997-98330
1998-99310
1999-00330
2000-01330
2001-02330
2002-03360
2003-04340
2004-05370
2005-06360
合計3350
PSG 2006-07380
2007-08380
2008-09380
合計1140
リール 2009-10280
2010-11380
2011-12380
2012-13150
合計1190
バスティア 2012-13190
2013-14300
合計490
通算6170

タイトル

クラブ

代表

脚注

  1. 「レジェンドの域に達した天才GK」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2011年4月7日号、92-93頁
  2. リーグ・アン:首位リールの強さの秘密と隠れた弱点”. livedoorスポーツ (2011年2月14日). 2011年4月1日閲覧。
  3. リール、守護神ランドローの退団を発表”. Goal.com (2012年12月7日). 2012年12月8日閲覧。
  4. リール退団のランドロー、バスティアと契約”. Qoly.jp (2012年12月24日). 2012年12月24日閲覧。
  5. Landreau to hang up gloves リーグ・アン公式ウェブサイト 2014年5月12日付
  6. La fiche de Mickaël LANDREAU”. LFP.fr. 2014年6月1日閲覧。

外部リンク

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