ゲルダ・ヴィーグナー

ゲルダ・ヴィーグナー[注 1](Gerda Wegener)ことゲルダ・マリー・フレゼレゲ・ゴトリプデンマーク語: Gerda Marie Fredrikke Gottlieb1886年3月15日 - 1940年7月28日)は、エロティカで特に知られたデンマーク出身のファインアーティストイラストレーター画家である。彼女は主に流行に乗った女性を画題とし、初期はアール・ヌーヴォー、後にアール・デコのスタイルを用いて絵を描いた。

ゲルダ・ヴィーグナー
Gerda Wegener
1904年のゲルダ
生誕 ゲルダ・マリー・フレゼレゲ・ゴトリプ
: Gerda Marie Fredrikke Gottlieb

(1886-03-15) 1886年3月15日
 デンマーク、ハメリウ(丁: Hammelev
死没 1940年7月28日(1940-07-28)(54歳)
 デンマークフレゼレクスブルク
職業 芸術家、イラストレーター、画家
配偶者 アイナー・ヴィーグナー(1904年 - 1930年、婚姻無効)
フェルナンド・ポルタ(Fernando Porta、1931年 - 1936年、離婚)

世界初の性別適合手術を受けたとされるリリー・エルベ(アイナー・ヴィーグナー)の妻だったことでも知られる。

幼少期

ゲルダ・ヴィーグナーの位置(デンマーク内)
ホブロー
ホブロー
コペンハーゲン
コペンハーゲン
グレーノー
グレーノー
ゲルダにゆかりのある地

司教代理 (Vicar) だった父エミール・ゴトリプ(: Emil Gottlieb)と母ユスティン・ウスターブルク(: Justine Østerberg)の間に生まれたゲルダは、ユトランド半島グレーノー近郊の田舎町ハメリウ(: Hammelev)で育った[注 2][2]。父はユグノー系の生まれで、ゴトリプ家は保守的な家庭だった。彼女には3人のきょうだいがいたが、成人したのはその内1人だけだった。彼女は幼少期から絵画の才能を示し、専門の教育を受けることにした。家族はホブローへ転居したが、その後彼女はデンマーク王立美術院での教育を受けるためにコペンハーゲンへと移り住んでいる[2]。王立美術院でアイナー・ヴィーグナー(後のリリー・エルベ)と出会ったゲルダは、18歳で彼と結婚した(→#リリー・エルベ[2]

キャリア

彼女に芸術家としての大きな転機が訪れたのは、デンマーク王立美術院を卒業した直後の1907年から1908年にかけてで、これは新聞『ポリティゲン』の開催した絵画コンテストで優勝したためだった[3]。また、彼女の作品の1枚であるエレン・ファン・コール(: Ellen von Kohl)の肖像画が、作風のせいで展示拒否された後、彼女は "Peasant Painter Dispute"(意味:田舎者画家の戦い)と呼ばれる論争の中心人物となった[3]

ゲルダはファッションに影響を受け、『ヴォーグ』や『ラ・ヴィー・パリジェンヌ』などの雑誌でイラストレーターの職を得ようとしていた。彼女はパリの画壇で有名な画家になったものの、故郷デンマークでは、作品が論争を呼ぶものと判断されてあまり成功しなかった。彼女はヨーロッパ中のポピュラー・アート・スタジオで、自作の展覧会を開いた。1925年には、同年のパリ万国博覧会に合わせたコンペティションで、作品が賞を受けている[2]。彼女は広告用のイラストで有名となったが、人気のある肖像画家でもあった。彼女は同じくデンマーク出身のバレリーナウラ・ポウルスン: Ulla Poulsen1905年 - 2001年)と親交を結び、ポウルスンはしばしばゲルダの絵のモデルを務めた[2]。ゲルダとリリーは、デンマーク出身の芸術家ルドルフ・タイナ (Rudolph Tegner) やその妻エルナ(: Elna)とも親しく交流した。

リリー・エルベ

ゲルダはデンマーク王立美術院で、同じく生徒だったアイナー・ヴィーグナー(後のリリー・エルベ1882年 - 1931年)と出会い[2][4]、ゲルダ18歳・アイナー22歳の1904年に結婚した[2][5]。ふたりはイタリアフランスを旅した後、1912年パリへ落ち着いた。夫婦は当時流行していたボヘミアニズムに没頭し、多くの芸術家・踊り子・芸術界の人物と交流したほか、カーニバルなどの祭りによく参加した。

当時アイナーは、ゲルダよりも才能のある芸術家と見なされていたが、自分の作品や評価を投げ打って、ゲルダの追求する芸術を助けるようになった。ある日、絵のモデルが現れなかったため、ゲルダはアイナーへ女物の服を着てモデルになってほしいと頼んだ[2]。彼女はストッキングヒールを履いて足の部分のモデルをしてほしいと頼んだが、アイナーはこの時女物の服が驚くほど自分に合うように感じて、「リリー・エルベ」(: "Lili Elbe")としての人格を受け入れたという[6]

1924年撮影、アイナーと共に

リリー・エルベはゲルダにとってお気に入りのモデルとなり[7][2]、ゲルダ自身も、粋な服装に身を包みアーモンド型の眼をした女性を描く人物として、画壇で有名になった[5]1913年に、ゲルダの絵画の源となっていたファム・ファタールが、実は夫アイナーだったと明かされた時には、芸術界に衝撃が走った[5][8]。この生活を続けるうち、アイナーはリリー・エルベとして過ごす時間が長くなるようになったが、ゲルダ自身もレズビアンであることを公にしており、あまり問題は感じなかったとされている[5](ただし彼女が本当にレズビアンだったかどうかに関しては議論の余地がある[9])。

アイナーは次第に、自分をトランスジェンダーの女性だと認識するようになり、男性との交際も始めた。アイナーは、リリー・エルベという新しい名前で数年間独居した後、1930年に記録上初めてとされる性別適合手術を受けた[5]。ゲルダは一般の場で、女性用の服を着たエルベを、夫アイナーの姉妹だと紹介していた。ふたりには、性別適合手術前の1930年10月に、当時のデンマーク国王クリスチャン10世によって婚姻無効が言い渡されたが、ゲルダはその後の手術を支え続けた[2]。エルベは1931年に、手術の合併症(拒絶反応)により亡くなった[10]

後半生と死

1931年、エルベの死に打ちのめされたゲルダは、イタリア人士官・パイロット外交官だったフェルナンド・ポルタ少佐(: Major Fernando Porta)と結婚した[5][8]1896年生まれの彼はゲルダより10歳年下で、ふたりは結婚後、モロッコマラケシュカサブランカへと移住した[8]。時代の移り変わりで評価の高い絵を描き続けることには苦労したものの[2]、ゲルダは再婚後も絵を描き続け[2]、作品にはアイナーの名字も含めて「ゲルダ・ヴィーグナー・ポルタ」('Gerda Wegener Porta') とサインした。苦難の多い結婚生活の末、財産をポルタに持ち逃げされたゲルダは、1936年に離婚し、2年後の1938年デンマークへ帰国している。1939年には最後の個展を開いたが、この時には彼女の作品は時代遅れになっていた。子どももおらず、親戚とも疎遠だったゲルダは、一人暮らしをしながら酒浸りの生活を始めることになった[5]。彼女は手描きの絵はがきクリスマスカードを売ることで収入を得ていたという[11]

ゲルダは1940年7月28日に、デンマークフレゼレクスブルクで亡くなった(54歳没)。ゲルダの死は、第二次世界大戦が開戦し、ナチス・ドイツがデンマークに侵攻した数か月後のことだった(デンマーク侵攻は1940年4月の出来事である)。彼女の小さな地所はオークションで売却され、地元紙に小さな追悼記事が掲載されただけだった。遺体はソールビェア公園共同墓地(: Solbjerg Park cemetery)にひっそりと埋葬されている[2]。彼女がレズビアンだったかどうかに関しては議論の余地が残されている[9]。アイナーとゲルダは互いに同性愛者だったが、当時仕事を得るために、この事実を隠しておく方が得策だと判断したとする論文もいくつか存在する。

書籍・映画化

長年、リリーとゲルダに関する物語は、デンマークを初めとした世界中で礼賛されてきた。ゲルダによるレズビアンをテーマとしたエロティカの大量発見(1984年)がきっかけで彼らの作品は再発見され[11]、現在では展覧会やオークションも成功裏に終わっている。ゲルダの絵画を集めた特別展は、2015年11月7日から2017年1月8日まで、コペンハーゲン近郊のアーケン現代美術館で開催された[12][13]

デヴィッド・エバーショフ2000年に出版した小説『リリーのすべて』(旧題:『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』[11][14]、映画公開に合わせて改題)は、世界的ベストセラーとなり多くの言語に翻訳された。この小説には多くの脚色が含まれており、ゲルダは、グレタ・ヴァウド・ヴェイナーというカリフォルニア出身の名士令嬢として登場する[15]。小説は2015年制作の映画『リリーのすべて』の原作となり、ゲルダは史実通りデンマーク人の設定に戻された上で[15]スウェーデン出身の女優アリシア・ヴィキャンデルによって演じられた。ヴィキャンデルはこの作品の演技で、第88回アカデミー賞助演女優賞を獲得している[16][17]。映画には、エディ・レッドメイン演じるアイナー/リリーの異性装 (forced feminization) エロティカを同一視したような脚本への批判が寄せられたほか、性転換した実在の人物の物語をぼやかし事実を切り捨てたこと[18]・アイナーとゲルダの本当の話を伝えていない半フィクションを原作にしたこと[19]に抗議の声が上がった。ゲルダの官能的な作品に表現されていると信じる人も多い彼女自身のセクシュアリティについては、小説・映画のどちらでも全く言及されていない[20][21][10]

荒俣宏は『荒俣宏の世界ミステリー遺産』所収の「リリ・エルベの肖像画」(祥伝社黄金文庫2011年、78~79頁)で、彼女とその配偶者について紹介している。なお、彼女が主に「パリで活躍」したためフランス風に表記しようとしたが、デンマーク大使館へ問い合わせたところ、「ガーダ・ヴェーナ」が現地読みにいちばん近いといわれたので、そう記したという。しかしながら、2016年に所蔵しているゲルダの作品コレクションを書籍化するにあたり、荒俣は大阪大学世界言語研究センターのデンマーク語・スウェーデン語研究室が編纂した辞典 (新谷俊裕, 大辺理恵 & 間瀬英夫(編) 2009) を参考にした[22]。この辞典の表記に則り、2016年に荒俣が出版した本では、ゲルダの名前は「ゲアダ・ヴィーイナ」と表記されている[22]

ゲルダの描いた作品(抜粋)

書籍の挿絵
  • 1918年 - Léo Larguier, "L'Abdication de Ris-Orangis"
  • 1920年もしくは1924年 - シャルル・ギヨー (fr) "Le Livre des Vikings"OCLC 902296211
  • 1927年 - ジャコモ・カサノヴァ (1927). Une Aventure d'Amour à Venise. Le Livre du Bibliophile. 10. Paris: Georges Briffaut. OCLC 717042624
  • 1928年から1929年 - ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ"Les Contes"
  • 1929年 - エリック・アラティーニ (Eric Allatini)、"Contes de mon Père le Jars" / "Sur Talons rouges"
  • 1934年 - テオフィル・ゴーティエ"Fortunio"
  • Louis de Robert, "L'Anneau ou La Jeune Fille Imprudente"
  • J・H・ロニー兄"Amour Etrusque"

作品例

関連項目

脚注

注釈

  1. 名字については言語によって様々な読み方が存在するが、ゲルダの作品を集めた特別展を開いたデンマークのアーケン現代美術館の広報映像では、キュレーターが「ヴィーグナー」として紹介している[1]
  2. 彼女が生まれたのは、デンマーク南部の同名の町ハメリウではなく、北東部でバルト海に面した Djursland (en) に含まれる町である。

出典

  1. GERDA WEGENER på ARKEN - ARKEN Museum of Modern Art(20s〜) - YouTube
  2. Russell, Helen (2015年9月28日). Gerda Wegener: 'The Lady Gaga of the 1920s'”. ガーディアン. 2016年12月29日閲覧。
  3. ARKEN Museum of Modern Art. Catalogue extract (UK): GERDA WEGENER”. Issuu. p. 17. 2016年12月28日閲覧。
  4. Conway's Vintage Treasures”. Vintage-movie-poster.com. 2014年4月8日閲覧。
  5. She and She: The Marriage of Gerda and Einar Wegener”. The Copenhagen Post (2000年7月3日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。(英語)
  6. The Arts and Transgender”. renaissanceblackpool.org. 2006年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。
  7. Famous GLTB - Lili Elbe”. Matt & Andrej Koymasky - andrejkoymasky.com (2003年5月17日). 2007年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。
  8. Ryoko Tsukada (2015年9月28日). ジェンダーはフルイディティが時代のキーワード - 性転換手術でわかった驚愕の事実”. 早耳調査隊がゆく!. ELLE online. p. 7. 2016年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。
  9. Ryoko Tsukada (2015年9月28日). ジェンダーはフルイディティが時代のキーワード - アカデミー賞確実視『The Danish Girl』 主人公夫婦の映画以上の真実”. 早耳調査隊がゆく!. ELLE online. p. 6. 2016年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。
  10. “The Danish Girl vs the True Story of Lili Elbe, Gerda Wegener”. historyvshollywood.com. http://www.historyvshollywood.com/reelfaces/danish-girl/ 2015年12月10日閲覧。
  11. Ryoko Tsukada (2015年9月28日). ジェンダーはフルイディティが時代のキーワード - 女性となっても夫しか愛せなかった妻”. 早耳調査隊がゆく!. ELLE online. p. 8. 2016年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。
  12. Retrospective exhibition at ARKEN Museum of Modern Art”. Arken. 2016年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月28日閲覧。(デンマーク語)Gerda Wegener”. Arken. 2016年12月29日閲覧。(英語)
  13. Bak, Andrea (2016年1月2日). The Danish Girl puts Gerda Wegener’s art on view to the world”. ガーディアン. 2021年1月24日閲覧。
  14. エバーショフ (2016, p. 459)
  15. エバーショフ (2016, p. 457)
  16. 【第88回アカデミー賞】「助演女優賞」は『リリーのすべて』若手女優アリシア・ヴィキャンデル!”. Cinemacafe.net (2016年2月29日). 2016年12月29日閲覧。
  17. 助演女優賞は『リリーのすべて』アリシア・ヴィキャンデル!スウェーデン出身の27歳が初オスカー【第88回アカデミー賞】”. シネマトゥデイ (2016年2月29日). 2016年12月29日閲覧。
  18. “"The Danish Girl" Stretches Frilly Forced-Femme Fantasy Over Actual Trans History”. HARLOT Magazine. (2015年11月23日). https://medium.com/@HARLOT/the-danish-girl-stretches-frilly-forced-femme-fantasy-over-actual-trans-history-c5703dbd47a0 2015年11月25日閲覧。
  19. Harrod, Horatia (2016年2月28日). “The tragic true story behind The Danish Girl”. The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/films/2016/04/14/the-tragic-true-story-behind-the-danish-girl/ 2016年12月29日閲覧。
  20. “The Incredibly True Adventures of Gerda Wegener and Lili Elbe”. coilhouse.net. (2012年8月3日). http://coilhouse.net/2012/08/the-incredibly-true-adventures-of-gerda-wegener-and-lili-elbe/ 2015年12月10日閲覧。
  21. クリックでダウンロード開始:“Reading Group Notes The Danish Girl” (PDF). https://www.allenandunwin.com/documents/reading-groups/145-the-danish-girl-reading-group-notes 2015年12月10日閲覧。
  22. 荒俣宏 2016, pp. 248–249.

参考文献

デンマーク語固有名詞に関して

外部リンク

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