ゲンナジー・パルシン

ゲンナジー・ヴァシリエヴィチ・パルシン(ロシア語: Геннадий Васильевич Паршин、ロシア語ラテン翻字: Gennadiy Vasiliyevich Parshine、1939年5月29日 - )は、ソビエト連邦・マハチカラ出身のバレーボール指導者。元ソビエト連邦男子代表監督。FIVB公認インストラクター(レベル3)。ソ連・カザフスタン・ラトビア功労監督。

ゲンナジー・パルシン
Геннадий ПАРШИН
基本情報
国籍  ラトビア[1]
生年月日 (1939-05-29) 1939年5月29日(84歳)
出身地 ソビエト連邦の旗マハチカラ
ラテン文字 Gennadiy PARSHINE
ロシア語表記 Геннадий ПАРШИН

来歴

若年時代はアルマトイで過ごす。1961年アルマトイスポーツアカデミー卒業。

1969年から1992年までリガの強豪・ラジオテクニカ・リガ男子監督として活躍。ヨーロッパ・ウィナーズカップ連覇を含む優勝3回(1973/74・1974/75・1976/77)、ソ連トップリーグ(現ロシアスーパーリーグ)で1983/84シーズン優勝および準優勝6回、スパルタキアード(ソ連における国体)優勝1回と数々の栄冠に輝く。

それと並行してソ連代表スタッフとして働く。1978年からジュニア代表監督に就任、81年にはコロラドスプリングスで開かれた世界ジュニア大会で優勝。1986年からA代表監督に就任、1986年世界選手権準優勝、1987年欧州選手権優勝、1988年ソウル五輪銀メダル[2]、と数々の勝利に導く。また、在任中にはシンガポールで行われた世界バレーボールフェスタで、世界オールスターチーム監督も経験した。

ソビエト連邦の崩壊後の1992年からトルコ・イスタンブールのネタシュ・イスタンブール(NETAŞ İstanbul)男子監督に就任。トルコリーグトルコリーグで1995/96シーズン準優勝、翌1996/97シーズンはCEVカップCEVカップ準優勝、リーグ優勝とカップ戦優勝の国内2冠。また、同年にはトルコ男子代表監督として、欧州予選を勝ちぬき1998年世界選手権出場権を獲得。同年には全トルコ年間最高外国籍監督賞を受賞する。

1999年オレーク・アントロポフと共に来日、Vリーグ・JTサンダーズ監督に就任[2]。在任中、2001年・2004年と2度全日本選手権優勝するものの、リーグでは2位が3度と優勝には届かなかった[2]。2006年に勇退[2]、後任はアントロポフが務めた。

その後はトルコ男子代表コーディネーター、カザフスタン男子代表監督などを歴任した。

所属チーム

エピソード

Vリーグ初の出場停止処分[3][4]

2005年1月16日Vリーグ対サントリー・サンバーズ戦において、判定に反感を持ったパルシンは副審の背中を小突いた。これに対しVリーグ機構は同月20日、パルシンに対しVリーグ史上初となる2試合の出場停止処分を下した。

本来の規定であれば、試合中の暴力行為であるためその場で失格し退場処分だが、当試合の審判は口頭の注意のみだったため、のちの処分となった。また正しいルール適用が行われなかったとして、主審および副審、ジュリーの3人も処分された。

関連項目

脚注

  1. JT公式(Internet Archive) (2006年5月4日). “チームトピックス”. 2010年9月16日閲覧。
  2. 共同通信 (2006年5月4日). “パルシン監督が退任表明 JTで全日本2度優勝”. 2010年9月10日閲覧。
  3. Vリーグ公式. “1月16日のサントリー対JT戦について”. 2010年9月10日閲覧。
  4. 共同通信 (2005年1月20日). “JT監督は2試合出場停止 Vリーグ初の処分”. 2010年9月10日閲覧。

外部リンク

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