コチャニ
コチャニ(マケドニア語:Кочани / Kočani、発音:[ˈkɔtʃani]
音声)は、マケドニア共和国東部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、首都のスコピエから120キロメートルにある。市街地人口は2万8千人程度であり、自治体全域での人口は3万8千人程度ある。
| コチャニ Кочани | |||||
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![]() コチャニ | |||||
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| 標語 : "City of rice and geothermal water" | |||||
| 位置 | |||||
![]() コチャニの位置 | |||||
| 座標 : 北緯41度55分00秒 東経22度25分05秒 | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 1337年 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 基礎自治体 | コチャニ基礎自治体 | ||||
| 市 | コチャニ | ||||
| Nikolcho Ilijev (SDSM) | |||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 375.44 km2 | ||||
| 市街地 | 18.6 km2 | ||||
| 標高 | 375 m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2002年現在) | ||||
| 市域 | 38 092人 | ||||
| 市街地 | 28,330人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||||
| 郵便番号 | |||||
| 市外局番 | ++ 389 33 | ||||
| 公式ウェブサイト : http://www.kocani.gov.mk | |||||
地理と人口
町はコチャニ川に沿って、コチャニ渓谷の北側に沿って広がっており、川はここで山の傾斜から離れ、渓谷の中を流れるようになる。町の北側はオソゴヴォ山(Osogovo、標高2252メートル)であり、8キロメートル南のプラチュコヴィツァ山(Plačkovica)まで渓谷は続いている。町は標高350メートルから450メートル程度である。
コチャニの市街地の面積は18.6平方キロメートルであり、人口は2万8千人を超え、マケドニア共和国東部では3番目の人口規模である。人口の推移は以下の通り:
- 1948年 - 6,657人
- 1994年 - 26,364人
- 2002年 - 28,330人
人口構成
気候
気候は温暖、大陸性であり、ブレガニツァ川(Bregalnica)に沿って地中海性気候の影響が及んでいる。年間平均気温は摂氏12.9度、年間降水量は538ミリメートルである。
歴史
コチャニが初めて記された文献は1337年のものであり、ヨヴァン・オリヴェル公(Despot Jovan Oliver)がこの地を聖ドミトリイ教会に寄贈したことが記されている。
考古学的な発見により、この地には古代ローマ時代や中世の東ローマ時代にも人が居住していたことが確認されている。15世紀初頭にはこの町はオスマン帝国の支配下となった。トルコ人の旅行家エヴリヤ・チェレビは1662年にこの地を訪れ、町には600世帯が居住し、1つのモスク、1つのメスジド(小規模なイスラム礼拝堂)、1つの旅館、15の店があったと記している。18世紀から19世紀初頭にかけて、町は急速に発展した。1878年には450世帯から500世帯ほどであった人口はその後急速に拡大した。町には塔の姿をした2つの貴族屋敷が残されており、16世紀から17世紀ごろのものと考えられている。
みどころ
郊外には古代から中世にかけての多くの遺産が残されている。その一つに古代遺跡ドルノ・グラディシュテ(Dolno Gradishte)がある。
特徴

今日のコチャニは計画的に設計された現代的な町であり、通りは整備され、現代的な建物や集合住宅、ショッピングセンターがあり、新興工業地帯を有する。郊外の住宅は主に町から東に向かって広がり、オリザリ村(Оризари)のすぐそばまで拡大している。
友好都市
コチャニは以下の町と友好都市提携を結んでいる。




