サヴォイア公

サヴォイア公イタリア語: Duca di Savoia)は、1418年から1860年までのサヴォイア家によるサヴォワ統治の際に用いられた世襲君主号である。現在ではサヴォイア家の儀礼称号の一つとなっている。

概要

サヴォイア家が統治するサヴォワは、1003年ウンベルト・ビアンカマーノが伯爵に叙されたことで伯国として成立した。以後の伯爵は婚姻関係や神聖ローマ皇帝との関係を巧みに効用することで、その領域をピエモンテヴォーニース等に拡大させた。1391年にサヴォイア伯となったアメデーオ8世は死亡した兄弟たちが支配していた領地を回収して自領に組み入れることで伯国を“再統一”して中央集権化を推し進めた。アメデーオ8世は外交能力にも長けており1413年神聖ローマ皇帝ジギスムントから公位を授けられることで自領を公領へと昇格させた。これがサヴォイア公の誕生である。アメデーオ8世は1439年には最後の対立教皇フェリックス5世となっている。カルロ1世リュジニャン家からエルサレム王位を相続したが、これはもちろん名目のみのものである。

ヴィットーリオ・アメデーオ2世の代の1713年に、ユトレヒト条約シチリア国王になることで正式の王号を獲得した。後の1720年ハーグ条約で、シチリアの代償としてサルデーニャ島を得ることで、改めてサルデーニャ国王となり、結果サヴォイア公位はその下位に組み込まれることとなった。ただし、1792年から1815年までのフランスによる支配時代を除いて、王国の主要部をなしていたのはもっぱらサヴォワとトリノ周辺であった。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は自身のイタリア統一運動フランスからの支持を得るため、1860年フランス皇帝ナポレオン3世との間でプロンビエールの密約を結んで、代償としてサヴォワとニースを割譲した。これに伴い、サヴォイア公はその実質的な意味を喪失し、翌1861年に成立したイタリア王国国王の称号の一つに組み込まれた。1946年にイタリアで王政が廃止されると、サヴォイア公は以後はサヴォイア家の儀礼称号の一つとなった。

歴代サヴォイア公

サヴォイア公統治開始統治終了
アメデーオ8世1416年1440年1
ルドヴィーコ1440年1465年2
アメデーオ9世1465年1472年3
フィリベルト1世1472年1482年4
カルロ1世1482年1490年5
カルロ2世1490年1496年6
フィリッポ2世1496年1497年7
フィリベルト2世1497年1504年8
カルロ3世1504年1553年9
エマヌエーレ・フィリベルト1553年1580年10
カルロ・エマヌエーレ1世1580年1630年11
ヴィットーリオ・アメデーオ1世1630年1637年12
フランチェスコ・ジャチント1637年1638年13
カルロ・エマヌエーレ2世1638年1675年14
ヴィットーリオ・アメデーオ2世1675年1713年15

王号獲得後

1720年サルデーニャ王位を獲得したことでサヴォイア公はその下位に置かれた。

サルデーニャ王およびサヴォイア公統治開始統治終了
ヴィットーリオ・アメデーオ2世1720年1730年15
カルロ・エマヌエーレ3世1730年1773年16
ヴィットーリオ・アメデーオ3世1773年1796年17
カルロ・エマヌエーレ4世1796年1802年18
ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世1802年1821年19
カルロ・フェリーチェ1821年1831年20
カルロ・アルベルト1831年1849年21
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1849年1861年22

1861年イタリア王国の樹立が宣言されると、サヴォイア公はイタリア王の称号の一つに組み込まれた。

イタリア王およびサヴォイア公統治開始統治終了
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1861年1878年22
ウンベルト1世1878年1900年23
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世1900年1946年24
ウンベルト2世1946年1946年25

関連項目

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