スペイン侵攻

スペイン侵攻(Entréed'Espagne またはL'Entréed'EspagneまたはEntréeenEspagne 英語:「スペインへの入国」または「スペインへの入国」)は、14世紀[1] (c.1320) [2]フランコ-ベネチアン ローランの歌の前日譚であり、ローランが遍歴の騎士として活躍する作者不詳武勲詩。作者はパドヴァ出身と思われ この作品は、レオン・ゴーティエがヴェネチアで発見した国立マルチャーナ図書館所蔵の一篇のみ現存[3][4]。 疑似ターピンクロニクル(ヒストリアカロリマグニ、コーデックスカリクストゥス写本IV、12世紀半ばからのシャルルマーニュの偉業に関するラテン語のクロニクル)および他のいくつかの情報源からの資料と、叙事詩元の20,000 うち、現存する16,000の詩は、スペインでのシャルルマーニュの戦いとパラディンローランドの冒険について語っている。

あらすじ

シャルルマーニュがエックスで御前会議を招集し、スペインを異教徒の手から奪還することを宣した。戦いが避け得ぬことを悟った異教徒の王マルシルは、ナヘラの街を一万の兵をもって押さえ、シャルルマーニュを迎え撃つ態勢を整えた。

シャルルマーニュ率いるフランス軍は遂にスペインに侵攻を開始した。しかし堅く守られたナヘラの街での激戦の末、12勇士のうち実に11人までもが捕囚の身となってしまう。残ったのはただ一人、ローランだけであった。にも関わらず、神を信ずるローランに恐れの色などなく、敵と大立ち回りを演じると、見事敵将を討ち取ったのだった。ナヘラの街は陥落し、捕囚の勇士たちは解放され、住民には洗礼が授けられた。

フランス軍は次にパンプローナの街を攻囲する。しかし身内では叛乱が起き、築いた攻城兵器は異教徒軍に破壊された上、敵の援軍が到着し、なかなか城を落とすことが出来ない。特にローランは、援軍の到着を防げなかったことをシャルルマーニュからきつく譴責される。暫くの篭城戦の後、とうとうフランス軍はパンプローナを攻略するが、その喜びは束の間に終わる。なんとあのローランが、軍を脱走したという知らせが入ったのである。若く血気盛んなローランは、シャルルマーニュに叱責され殴られたことがどうしても許せなかったのだった。

ローランはスペインを出ると遍歴の騎士となり、聖地への漫遊の旅に出る。道中でペルシア王スーダンからベイリに任命されたローランは、ペルシアの地に赴き、かの国でも武勲を重ねた。

功成り名遂げたローランは、ペルシアの王子サンソンと共にスペインに戻る。フランス軍は歓喜した。シャルルマーニュはローランにスペイン王の座を提案するが、ローランはこれを断り、今後は一生シャルルマーニュの臣下として軍を率いることを誓ったのであった。

脚注

  1. (フランス語) Geneviève Hasenohr and Michel Zink, eds. Dictionnaire des lettres françaises: Le Moyen Age. Collection: La Pochothèque. Paris: Fayard, 1992. Article: "Entrée d'Espagne", pp. 412-3. ISBN 2-2530-5662-6
  2. Luigi Pulci: Morgante: The Epic Adventures of Orlando and His Giant Friend a complete English translation by Joseph Tusiani. Introduction and notes by Edoardo Lèbano. (Indiana University Press, 1998) ISBN 0-253-21407-6, notes, pp. 890-1.
  3. (フランス語) L'Entrée d'Espagne, chanson de geste franco-italienne, tome II, publiée d'après le manuscrit unique de Venise par Antoine Thomas, Société des Anciens Textes Français, 1913, p. 324 (index of proper names)
  4. Peter Brand and Lino Pertile, eds. The Cambridge History of Italian Literature Cambridge: 1996; revised edition: 1999, p.168. ISBN 0-521-66622-8

参考文献

  • L'Entréed'Espagne。 Chanson de gestefranco-italiennepubliéed'aprèslemanuscrituniquede Venise par Antoine Thomas、Paris、Firmin-Didot(«Sociétédesancienstextesfrançais»)、1913年、2巻。
  • Aebischer、Paul、Ce qui reste d'un manuscrit perdu de l '«Entréed'Espagne»、«Archivum Romanicum»、12(1928)、233-264。
  • Constans、Léopold、L'Entréed'Espagneetleslégendestroyennes、«ルーマニア»、43、1914、430-432。
  • モンテヴェルディ、アンジェロ、アンジェロモンテヴェルディ、スペイン国際連合、中世文明高等弁務官事務所(Poitiers、juillet 1959)、«Cahiersdecivilizationmédiévale»3、1960、75。
  • Specht、René、Cavalleria francese alla corte di Persia:l'episodio dell '«Entréed'Espagne»ritrovatonel frammento reggiano、«Atti dell'Istituto Veneto di Scienze、Lettere ed Arti»、135(1976–77)、489- 506。
  • Specht、René、Il frammento reggiano dell '«Entréed'Espagne»:raffronto filologico col codice marciano francese XXI(= 257)、«Atti dell'Istituto Veneto di Scienze、Lettere ed Arti»、136(1977–78)、pp 。 407–24。
  • モデナ、セレナ、アントレデスパーニャhttp://www.rialfri.eu/rialfriWP/opere/entree-despagne ; RIALFrI(Repertorio Informatizzato dell'Antica Letteratura Franco-Italiana) http://www.rialfri.eu/rialfriWP/

外部リンク

  • 全文-www.archive.orgのtome1-
  • 全文-www.archive.orgのtome2
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