セバスティアン・ランベル

セバスティアン・パスクアル・ランベル(Sebastián Pascual Rambert、1974年1月30日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州ベルナル出身の元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。ランベルトとも表記される。

セバスティアン・ランベル
名前
本名 セバスティアン・パスクアル・ランベル
Sebastián Pascual Rambert
愛称 El avioncito
ラテン文字 Sebastián RAMBERT
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1974-01-30) 1974年1月30日(49歳)
出身地 ブエノスアイレス州・ベルナル
身長 181cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1992-1995 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 51 (14)
1995 イタリアの旗 インテル 0 (0)
1996 →スペインの旗 サラゴサ (loan) 20 (5)
1996-1997 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 28 (10)
1997-2000 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 37 (5)
2000-2001 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 11 (1)
2001-2002 ギリシャの旗 イラクリス 11 (1)
2002-2003 アルゼンチンの旗 アルセナル 3 (0)
代表歴
1995-1996 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 8 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

フランス人移民の子孫。ランベルの父アンヘル・ランベルは、アルゼンチン出身のFWとしてCAラヌースでキャリアを開始し、その後オリンピック・リヨンへ移籍すると二重国籍を取得、最終的にフランス代表でプレーした。

経歴

1995年にCAインデペンディエンテからインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。ランベルは、同胞のハビエル・サネッティと共に加入。移籍金500万ユーロ[1]と大きく期待されたが、サネッティのように成功することは出来なかった。それどころか、外国人枠の関係もあり(サネッティ、ロベルト・カルロス、ポール・インス)、リーグ戦では1試合も出場することが出来ず、1996年にレアル・サラゴサへレンタル移籍[2]することで、ようやく欧州で試合に出場できた。ここでは、インデペンディエンテでコンビを組んでいたグスタボ・ロペスと再びパートナーになり、強力なサイドを形成[2]。移籍後初試合のレアル・バリャドリード戦では、2ゴールを決めセンセーショナルなデビューとなったが、最終的には5ゴールと尻すぼみに終わり1シーズンで退団した。その後、ボカ・ジュニアーズ、CAリーベル・プレート、そして古巣のCAインデペンディエンテと転々とした。その後、ギリシャのイラクリス・テッサロニキFCで再び欧州へ行き短期間過ごした。ハート・オブ・ミドロシアンFCへの移籍するチャンスがあったが[3]、アルセナルFCと契約するためにアルゼンチンへと戻り、2003年に引退した。

以来、ランベルはラモン・ディアスに師事し、クラブ・アメリカとCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロでアシスタントコーチを務めた。CAインデペンディエンテ、ボカ・ジュニアーズ、CAリーベル・プレートと"ビッグ5"のうち3チームでプレーした数少ない選手だった。

所属クラブ

→スペインの旗 レアル・サラゴサ 1996 (loan)

脚注

  1. Los Cracks que no fueron: Sebastián Rambert, el avioncito que se estrelló en pleno vuelo (Por Ezequiel Juariste)
  2. El 'Avioncito' aterriza en los banquillos
  3. Hearts check Argentine ace

外部リンク

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