ダニエル・フェルナンデス (サッカー選手)
ダニエル・マルシオ・フェルナンデス(Daniel Márcio Fernandes, 1983年9月25日- )は、カナダ連邦エドモントン出身の元ポルトガル代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK。
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![]() トゥヴェンテ時代(2012年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ダニエル・マルシオ・フェルナンデス Daniel Márcio Fernandes | |||||
| ラテン文字 | Daniel FERNANDES | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1983年9月25日(40歳) | |||||
| 出身地 | エドモントン | |||||
| 身長 | 195cm | |||||
| 体重 | 98kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
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| 2000-2001 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2001-2002 |
| 0 | (0) | |||
| 2002-2003 |
| 1 | (0) | |||
| 2003 |
→ | 12 | (0) | |||
| 2003-2008 |
| 90 | (0) | |||
| 2008-2011 |
| 32 | (0) | |||
| 2010 |
→ | 10 | (0) | |||
| 2010-2011 |
→ | 0 | (0) | |||
| 2011 |
→ | 7 | (0) | |||
| 2011 |
| 2 | (0) | |||
| 2012-2016 |
| 0 | (0) | |||
| 2014 |
→ | 21 | (0) | |||
| 2014-2015 |
→ | 4 | (0) | |||
| 2015 |
→ | 14 | (0) | |||
| 2016 |
| 31 | (0) | |||
| 2017-2018 |
| 3 | (0) | |||
| 2018-2020 |
| 18 | (0) | |||
| 2020-2021 |
| 16 | (0) | |||
| 2021-2022 |
| 12 | (0) | |||
| 2022 |
| 0 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2002-2003 |
| 6 | (0) | |||
| 2006 |
| 2 | (0) | |||
| 2007-2009 |
| 2 | (0) | |||
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経歴
生い立ち
ポルトガル人の父とチェコ人の母の下で[1]カナダのアルバータ州エドモントンに生まれ[2]、ブリティッシュコロンビア州イーストバンクーバーで育つ。バンクーバー・オリンピックスが最初に所属したクラブだった。
初期
2000年、17歳の時に父の故郷であるポルトガルに渡りFCポルトの下部組織へ入団した。2季の在籍でBチームに登録されたものの出番はなく、スペイン2部のセルタ・デ・ビーゴBへ移籍した。
2003年1月にセルタBからドイツ2部のSSVヤーン・レーゲンスブルクへ貸し出されたが、ここでもトップチームでの出番がなくバイエルンリーガを戦うBチームが主戦場となり、同年6月にセルタBへ復帰するも放出された。
PAOK
トライアルを経てギリシャ1部のPAOKテッサロニキと契約を締結。最初の2季での出場は僅か4試合にとどまったが、2005年にニコス・カラゲオルギウ監督が解任されクラブのゼネラルマネージャーにして元選手のゲオルギオス・コスティコスが監督に就任すると、すぐさまキリアコス・トフログルに代わり正GKに指名された。この2005-06シーズンはピッチ内外で多くの問題を抱えながらも27試合に出場し、後に債務の問題から出場禁止となった[3]がUEFAカップ2006-07出場権獲得となる6位でシーズンを終えることに貢献。以降のシーズンも正GKを務めた。
ボーフム
2008年5月23日に移籍金約120万ユーロでドイツ1部のVfLボーフムと締結。以前、PAOKで同僚だったマルチン・ミェンチェルと再会を果たした。移籍1季目は、降格圏内まで僅か勝ち点3の14位と苦しい状況の中で、8月16日のバイエル・レヴァークーゼンとの開幕戦(アウェイ0-1敗北)で初出場を果たして以降、3試合を除き出場し正GKを務めた。しかし、2季目になるとフィリップ・ヘーアヴァーゲンにポジションを奪われベンチを温める日々が続き、さらに、フランク・ハイネマン暫定監督によりBチームに落とされた。その結果、2010年1月18日にギリシャのイラクリス・テッサロニキFCへシーズン終了まで貸し出された[4]。同年夏のパナシナイコスFCと2011年1月のパンセライコスFCへの期限付き移籍を経て、2011年6月30日にボーフムから放出された[5]。
代表
ユース時代は、当初U-20カナダ代表としてプレーをしていた[2]が、その後、父の母国であるポルトガルを選択し、2006年にU-21ポルトガル代表として初出場をした[11]。
2006年11月にポルトガルA代表へ初招集を受けるも、この時はリカルド・ペレイラとキムに次ぐ3番手のため出場は訪れなかった。翌年5月にEURO2008予選のベルギー戦と親善試合のクウェート戦へ向け、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下で再招集され[12]、6月のクウェート戦(1-1)で66分にキムと交代で初出場を飾った。2009年2月のフィンランド戦(1-0勝利)では、今度はエドゥアルドと交代で出場2試合目を記録した。
2010年5月に2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出される[13]も、エドゥアルドとベトに次ぐ3番手だった[14]ため出場はなかった。以降は、ルイ・パトリシオの台頭もあり招集機会が減少している。
私生活
2人の弟を持つ。また、ノルウェー人の女性と結婚し、娘を1人授かっている。
脚注
- "2010 FIFA World Cup™ - DANIEL FERNANDES - FIFA.com"
- "A real 'keeper for Portugal"
- "Εκτός Κυπέλλου UEFA ο ΠΑΟΚ, στη θέση του ο Ατρόμητος"
- "GREECE- OFFICIAL, In Iraklis arrives Dani Fernandes"
- "Vertrag mit Fernandes aufgelöst"
- "Bun venit, Daniel Fernandes!"
- "Daniel Fernandes și-a reziliat contractul pe cale amiabilă cu CFR 1907 Cluj!" Archived 2012年7月22日, at Archive.is
- "Joshua John en Daniel Fernandes naar FC Twente"
- “Daniel Fernandes signerte for LSK”. Lillestrøm SK (2017年1月27日). 2017年6月6日閲覧。
- “Antigo internacional Daniel Fernandes reforça Farense [Former international Daniel Fernandes strengthens Farense]” (Portuguese). O Jogo. (2018年7月1日) 2020年2月8日閲覧。
- "Italy's Palladino punishes Portugal"
- "Scolari names uncapped trio in Portugal squad"
- "Pepe in Portugal squad"
- "Keeper catches World Cup spirit"
外部リンク
- ダニエル・フェルナンデス (サッカー選手) - National-Football-Teams.com
- ForaDeJogo
- PortuGOAL
- zerozero.pt
- Daniel Fernandes - player profile Transfermarkt
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