チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラ
チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラ(Chiclana de la Frontera)は、スペイン・アンダルシア州カディス県のムニシピオ(基礎自治体)。
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| 州 | |
|---|---|
| 県 | |
| 面積 | 205.45 km² [1] |
| 標高 | 11m |
| 人口 | 78,591 人 (2010年[1]) |
| 人口密度 | 382.53 人/km² |
| 住民呼称 | chiclanero/-a |
| 守護聖人 | San Juan Bautista、 Nuestra Señora de los Remedios |
![]() Chiclana de la Frontera スペイン内チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラの位置 ![]() Chiclana de la Frontera カディス県内チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラの位置 | |
北東部にはヘリ湖などからなる内陸流域湿地群のチクラーナ内流域複合体があり、2009年にラムサール条約登録地となった[2]。
歴史
チクラーナの歴史は旧石器時代にさかのぼると、一部の歴史家は主張する。チクラーナの沖合いにあるサンクティ・ペトリ島は、フェニキア人が建てたガデイラのヘラクレイオン神殿があった場所でないかとされている。市内からは、フェニキア人定住地があったことを示す出土品が発掘されている。1930年、この小島を訪れた作曲家マヌエル・デ・ファリャは、インスピレーションを受けて『アトランティーダ』を作曲している。
町が最初に歴史上に現れるのはカスティーリャ王フェルナンド4世時代の1303年、チクラーナの村落内にあった島をアロンソ・ペレス・デ・グスマン(メディナ=シドニア公家の先祖)へ授けた記録上である。
18世紀には、カディス湾内の都市がそうであったように、対アメリカ大陸貿易、対アフリカ大陸貿易で潤った。この時代の富を象徴するのは、当時の貴族や郷紳の建てた邸宅郡である。
スペイン独立戦争中の1811年3月5日、チクラーナの戦いが起き、スペイン=イギリス連合軍がフランス軍を退けた。19世紀、町はワイン貿易で成長し人口が拡大、1876年にはアルフォンソ12世によって都市の地位を与えられた。
姉妹都市
チクラーナ・デ・セグーラ、スペイン
ウベダ、スペイン
エル・アスティジェーロ、スペイン
ベジエ、フランス
脚注
- “Población, superficie y densidad por municipios” (スペイン語). INE(スペイン国立統計局). 2012年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月14日閲覧。
- “Reserva Natural Complejo Endorreico de Chiclana | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2010年1月1日). 2023年4月13日閲覧。
- Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.
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