チャールズ・ウッド (初代ハリファックス子爵)

初代ハリファックス子爵チャールズ・ウッド(英語: Charles Wood, 1st Viscount Halifax, GCB, PC、1800年12月20日 - 1885年8月5日)は、イギリスの政治家、貴族。

初代ハリファックス子爵
チャールズ・ウッド
Charles Wood
1st Viscount Halifax
1870年頃のハリファックス卿
生年月日 1800年12月20日
没年月日 (1885-08-05) 1885年8月5日(84歳没)
出身校 オックスフォード大学オリオル・カレッジ
所属政党 ホイッグ党→自由党
称号 初代ハリファックス子爵、 第3代ウッド准男爵、バス勲章ナイト・グランド・クロス(GCB)、枢密顧問官(PC)
配偶者 メアリー(旧姓グレイ)
親族 第2代グレイ伯爵(岳父)
第2代ハリファックス子爵(長男)
初代ハリファックス伯爵(孫)

内閣 第一次ラッセル内閣
在任期間 1846年7月6日 - 1852年2月21日[1]

内閣 アバディーン伯爵内閣、第一次パーマストン子爵内閣
第二次パーマストン子爵内閣、第二次ラッセル伯爵内閣
在任期間 1852年12月30日 - 1855年3月3日
1859年6月18日 - 1866年2月[1]

イギリスの旗 海軍大臣
内閣 第一次パーマストン子爵内閣
在任期間 1855年3月3日 - 1858年2月[2]

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 グレート・グリムズビー選挙区
ウェアハム選挙区
ハリファックス選挙区
リポン選挙区
在任期間 1826年6月9日 - 1831年7月25日
1831年5月2日 - 1832年12月12日
1832年12月10日 - 1865年7月11日
1865年7月11日 - 1866年2月21日[3]

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1866年 - 1885年[3]

19世紀中期頃のホイッグ党・自由党政権下で閣僚職を歴任した。

経歴

若い頃のウッドを描いた絵画(ジョージ・ヘイター画)

1800年12月20日、第2代准男爵サー・フランシス・リンドリー・ウッドとその妻アン(旧姓バック)の長男として生まれる[4]。

イートン校を経てオックスフォード大学オリオル・カレッジに進学。1821年にバチェラー・オブ・アーツ(BA)、1824年にマスター・オブ・アーツ(MA)の学位を取得[4]。

1826年から1831年にかけてグレート・グリムズビー選挙区から庶民院議員に選出された。その後も1831年から1832年にかけてはウェアハム選挙区、1832年から1865年にかけてはハリファックス選挙区、1865年から1866年にかけてはリポン選挙区から選出された[4]。

ホイッグ党に所属し[5]、1829年には同党幹部の第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイの娘メアリーと結婚した[4]。グレイ伯爵は要職を親族で固める傾向があったため、彼もこの結婚以降党の重職に登用されるようになった[5]。

ホイッグ党が政権をとっていた期間には閣僚職を歴任した。グレイ伯爵内閣期の1832年から1834年にかけては大蔵省政務次官、第二次メルバーン子爵内閣期の1835年から1839年にかけては海軍省政務次官、第一次ジョン・ラッセル卿内閣期の1846年から1852年には財務大臣を務めた[4][3]。財務大臣時代には財政問題をめぐって首相ラッセルと対立を深めた。この対立は同時期のラッセルと外務大臣パーマストン子爵の対立と合わせて、1848年から1850年頃にかけてのラッセルの権威低下の一因となった[6]。

1846年には父から准男爵位を継承した[4]。

ピール派(保守党自由貿易派)との連立には否定的な立場をとっていたが[7]、1852年から1855年にかけて成立したホイッグ党とピール派の連立政権アバディーン伯爵内閣にはインド庁長官として入閣している[4][3]。1853年にはインド統治法案の議会通過に尽力した[8]。また同内閣でラッセルが推進していた選挙法改正に対しては、クリミア戦争勃発前には前向きな姿勢をとっていたが、1854年の戦争勃発後は他の閣僚たちと同様に延期を主張するようになった(アバディーン伯爵の決定で延期された)[9]。つづく第一次パーマストン子爵期の1855年から1858年にかけては海軍大臣として入閣した[2]。

1858年から1859年にかけてはクラレンドン伯爵やグランヴィル伯爵ら他のホイッグ党幹部とともにパーマストン子爵とラッセルの和解を推進することで自由党結成に尽力した[10]。

自由党政権の第二次パーマストン子爵内閣と第二ラッセル伯爵内閣期の1859年から1866年にかけてはインド大臣を務めた[1]。1866年にハリファックス子爵に叙せられ、貴族院議員に列した[3]。第一次グラッドストン内閣期の1870年から1874年にかけて王璽尚書を務めた[4][3]。

1885年8月8日に84歳で死去した[4]。

栄典

アンソニー・ド・ブリー画のハリファックス卿

家族

1829年に第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイの娘メアリーと結婚し、彼女との間に以下の7子を儲ける[4]。

  • 第1子(長女)ブランチェ・エディス・ウッド閣下(-1921)
  • 第2子(次女)アリス・ルイーザ・ウッド閣下(-1934)
  • 第3子(長男)第2代ハリファックス子爵チャールズ・ウッド(1839-1934)
  • 第4子(三女)エミリー・シャーロット・ウッド(1840-1904)
  • 第5子(次男)フランシス・リンドリー・ウッド大尉閣下(1841-1873)
  • 第6子(三男)ヘンリー・ジョン・リンドリー・ウッド中佐閣下(1843-1903)
  • 第7子(四男)フレデリック・ジョージ・リンドリー・ウッド閣下(1846-1910)

脚注

注釈

    出典

    1. 秦(2001) p.511
    2. 秦(2001) p.510
    3. UK Parliament. “Mr Charles Wood” (英語). HANSARD 1803–2005. 2014年5月22日閲覧。
    4. Lundy, Darryl. “Charles Wood, 1st Viscount Halifax” (英語). thepeerage.com. 2014年5月22日閲覧。
    5. 君塚(1999) p.61
    6. 君塚(1999) p.92
    7. 君塚(1999) p.107
    8. 君塚(1999) p.121
    9. 君塚(1999) p.133
    10. 君塚(1999) p.151

    参考文献

    • 君塚直隆『イギリス二大政党制への道 後継首相の決定と「長老政治家」』有斐閣、1999年(平成11年)。ISBN 978-4641049697。
    • 秦郁彦 編『世界諸国の組織・制度・人事 1840―2000』東京大学出版会、2001年(平成13年)。ISBN 978-4130301220。

    外部リンク

    公職
    先代
    エドワード・エリス
    イギリスの旗 大蔵省政務次官
    1832年 – 1834年
    次代
    サー・ジョージ・クラーク准男爵
    先代
    ジョージ・ロバート・ドーソン
    イギリスの旗 海軍省政務次官
    1835年 – 1839年
    次代
    リチャード・モア・オフェラル
    先代
    ヘンリー・ゴールバーン
    イギリスの旗 財務大臣
    1846年 – 1852年
    次代
    ベンジャミン・ディズレーリ
    先代
    ジョン・チャールズ・ヘリス
    イギリスの旗 インド庁長官
    1852年 – 1855年
    次代
    ロバート・ヴァーノン・スミス
    先代
    サー・ジェームズ・グラハム准男爵
    イギリスの旗 海軍大臣
    1855年 – 1858年
    次代
    サー・ジョン・パーキングトン准男爵
    先代
    スタンリー卿
    イギリスの旗 インド大臣
    1859年 – 1866年
    次代
    第3代ド・グレイ伯爵
    先代
    初代キンバリー伯爵
    イギリスの旗 王璽尚書
    1870年 – 1874年
    次代
    第3代マームズベリー伯爵
    グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
    先代
    ウィリアム・ダンカム
    チャールズ・テニソン
    グレート・グリムズビー選挙区選出庶民院議員
    1826年 – 1831年
    同一選挙区同時当選者
    ジョージ・ヘニッジ(1826–1830)
    ジョージ・ハリス(1830-1831)
    次代
    ジョン・シェリー
    ジョージ・ハリス
    先代
    ジョン・キャルクラフト
    ジェームズ・ユーイング
    ウェアハム選挙区選出庶民院議員
    1831年 – 1832年
    次代
    ジョン・ヘールズ・キャルクラフト
    新設 ハリファックス選挙区選出庶民院議員
    1832年 – 1865年
    同一選挙区同時当選者
    ロードン・ブリッジス(-1835)
    ジェームズ・ステュアート=ワートレイ(1835–1837)
    エドワード・プロスロー(1837–1847)
    ヘンリー・エドワーズ(1847–1852)
    フランシス・クロスレイ(1852–1859)
    ジェームズ・スタンスフェルド(1859-1865)
    次代
    エドワード・エイクロイド
    ジェームズ・スタンスフェルド
    先代
    ジョン・グリーンウッド
    レジナルド・ヴァイナー
    リポン選挙区選出庶民院議員
    1865年 – 1866年
    同一選挙区同時当選者
    ロバート・カースリー
    次代
    ロバート・カースレー
    ジョン・ヘイ卿
    イギリスの爵位
    爵位創設 初代ハリファックス子爵
    1866年 – 1885年
    次代
    チャールズ・ウッド
    グレートブリテンの準男爵
    先代
    フランシス・ウッド
    第3代ウッド准男爵
    1846年 – 1885年
    次代
    チャールズ・ウッド
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