ドラギシャ・ビニッチ

ドラギシャ・ビニッチ(セルビア語: Драгиша Бинић, ラテン文字転写: Dragiša Binić、1961年10月20日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手。ポジションはフォワード。

ドラギシャ・ビニッチ
名前
愛称 ビナ(Бина, Bina)、タイガー
ラテン文字 Dragiša Binić
キリル文字 Драгиша Бинић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 (1961-10-20) 1961年10月20日(62歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 クルシェヴァツ
身長 186cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1980-1983 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ナプレダク 20 (3)
1983-1987 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ラドニチュキ・ニシュ 101 (20)
1987-1988 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター・ベオグラード 27 (13)
1988-1989 フランスの旗 スタッド・ブレスト 29 (18)
1989-1990 スペインの旗 レバンテ 7 (0)
1990-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター・ベオグラード 27 (14)
1991-1993 チェコスロバキアの旗 スラヴィア・プラハ 19 (8)
1993-1994 キプロスの旗 APOELニコシア 14 (10)
1994 日本の旗 名古屋グランパスエイト 8 (5)
1995 日本の旗 鳥栖フューチャーズ 6 (5)
代表歴
1990-1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 3 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

国内外の数クラブを経て、1990年に古巣レッドスター・ベオグラードに復帰。1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝に貢献するも、その後に審判への唾吐き事件を起こして出場停止を食らい、夏にチェコのSKスラヴィア・プラハへ売却された。

1994年7月にドラガン・ストイコビッチと共にJリーグ名古屋グランパスエイトへ移籍。Jリーグデビューから2戦目の、8月27日のレッズ戦でJリーグ初ゴールを含む2ゴールを挙げた[1]。ゴードン・ミルン監督からの評価が低く、8試合に出場して、5ゴールと[1]、活躍の割に出場機会は少なかった。そのためマスコミ陣の前で公然とミルン監督を批判したこともあった。 翌1995年はJFL鳥栖フューチャーズへ移籍。ここでもイヴァン・チャブリノヴィッチ監督と衝突して退団。そのまま引退している。

ユーゴスラビア代表としては1990年から1991年まで3試合に出場した[2]。

引退後は、友人でもあるアルカン(セルビアの民兵組織「タイガー」の隊長。2000年暗殺)がオーナーを務めていたクラブFKオビリッチのディレクターに就任している。

エピソード

100mを10秒台で走るなど、スピードに優れ[3]、抜群の才能持つ反面、気性の荒さでも知られたが、チームメイトからの信頼は厚く、特に森山泰行とはニックネームで呼び合う仲だった(ちなみに彼が森山に名付けたニックネームは「ターボ」)。

虎の入れ墨をしていたことから「タイガー」のニックネームで呼ばれていた。

息子のヴラダン・ビニッチもプロサッカー選手。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994名古屋-J85000085
1995鳥栖F10旧JFL65-0065
通算日本J 85000085
日本旧JFL 65-0065
総通算 141000001410

脚注

  1. “ビニッチ”. data.j-league. 2021年1月13日閲覧。
  2. “Binić Dragiša” (セルビア語). reprezentacija.rs. 2024年1月16日閲覧。
  3. サッカーマガジン 1994年6月22日 no.459号 120-121

外部リンク

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