ノーラ (ナポリ県)

ノーライタリア語: Nola)は、イタリア共和国カンパニア州ナポリ県にある都市であり、その周辺地域を含む人口約3万4000人の基礎自治体コムーネ)。

ノーラ
Nola
ノーラの風景
ドゥオーモ
行政
イタリアの旗 イタリア
カンパニア州の旗 カンパニア
県/大都市 ナポリ
CAP(郵便番号) 80035, 80037
市外局番 081
ISTATコード 063050
識別コード F924
分離集落 Piazzolla, Polvica
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
地震分類 zona 2 (sismicità media)
気候分類 zona C, 1021 GG
公式サイト リンク
人口
人口 34,432 [1](2017-01-01)
人口密度 882.9 人/km2
文化
住民の呼称 nolani
守護聖人 San Felice
祝祭日 11月15日
地理
座標 北緯40度56分0秒 東経14度32分0秒
標高 34 (24 - 400) [2] m
面積 39.00 [3] km2
ノーラ (ナポリ県)の位置(イタリア内)
ノーラ (ナポリ県)
ノーラの位置
ナポリ県におけるコムーネの領域
ナポリ県におけるコムーネの領域
イタリアの旗 ポータル イタリア

ノーラは、ローマ以前に起源を持つ古い都市である。第二次ポエニ戦争中には当地で三度にわたる戦闘が繰り広げられた(第一次第二次第三次ノーラの戦い)。カトリック教会ノーラ教区 (Roman Catholic Diocese of Nola) の中心都市で、司教座聖堂ドゥオーモ)が置かれている。地動説を擁護する宇宙論を唱え、異端として火刑に処された16世紀の哲学者・科学者ジョルダーノ・ブルーノは、当地の生まれである。

地理

ナポリ県概略図

位置・広がり

ナポリ県北東部に位置する都市で、アヴェッリーノから西へ22km、カゼルタから南東へ23km、州都・県都ナポリから東北東へ23kmの距離にある[4]。市域は南北に細長く入り組んだ形状をしており、北はカゼルタ県と、南はヴェスヴィオ山北東麓のオッタヴィアーノと境を接する。また、シシャーノ、サヴィアーノ、ソンマ・ヴェズヴィアーナに接する形で飛び地がある。

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

先史時代

ノーラ近郊で2011年に発見された、ノーラ=クローチェ・デル・パーパ (Nola-Croce del Papa) の集落遺跡は、青銅器時代初期の小規模な村で、紀元前17世紀ヴェスヴィオ火山の噴火(アヴェッリーノ噴火 (Avellino eruption) )の際に放棄されたものである。住民たちは多くの陶器やさまざまな工芸品を置き去りにした。

古代

British Museum
A 2nd-century bronze parade mask found in a Roman tomb at Nola[5]

ノーラはカンパーニャの最も古い都市の一つであり、最も古いコインにはヌヴラナ (Nuvlana) という名前が刻まれている。この都市はアウソニ人 (Ausones) によって建設されたと考えられる。

ローマの支配下、第二次ポエニ戦争におけるハンニバルのイタリア侵攻中に、当地は三度にわたって戦場となった。第一次紀元前216年)、第二次紀元前215年)、第三次紀元前214年)の戦いにおいて、都市はマルケッルスによって防衛された。同盟市戦争紀元前91年 - 紀元前88年)においては、サムニウム (Samnites) の反乱によって陥落した。スパルタクスの反乱(第三次奴隷戦争)においては、略奪を受けた。初代皇帝アウグストゥスは、紀元14年8月19日、ノーラにおいて死去した。彼の死去の場所は、彼の父ガイウス・オクタウィウスと同じ部屋であった。

アウグストゥスとウェスパシアヌスは、この地域に多くの植民市を築いた。ローマ街道のネットワークにおいて、ノーラはポピリア街道 (Via Popilia) 上にあってカプアとヌケリア・アルファテルナ(現在のノチェーラ・インフェリオーレ)の間に位置し、アベラ(現在のアヴェッラ)とアベリヌム(現在のアヴェッリーノ)に至る支道が分岐していた[7]。比較的僻地であるにもかかわらず、ノーラはムニキピウムとしての地位を保ち、自身の機関を有しており、オスク語の使用を維持していた。古代都市の舗装も発見されているが、状態の回復には十分に意を払われていない。ノーラでは、ギリシャ陶器の花瓶が多く作られた。これらは黄色の粘土と黒く輝く釉薬を使い、赤く彩色されたものである。

キリスト教の台頭後、ノーラには司教座が置かれた (Roman Catholic Diocese of Nola) 。ノーラ司教であり元老院議員でもあったパウリヌス (Paulinus of Nola) は、伝統的にはキリスト教徒の礼拝にを導入した人物と信じられている[8]。小さなハンドベルをnola、大きなタワー・ベルをcampanaと呼ぶのは、彼の居所とその周辺地域の名から来ているという[8]。聖人とされたパウリヌスの聖遺物があることによって、町はキリスト教の巡礼地になった。

中世

ノーラは、410年西ゴート族アラリックによって、453年にガイセリック率いるヴァンダル族によって略奪された。904年にイスラム教徒によって襲撃され、13世紀にはシチリア王マンフレーディによって占領された。

アンジュー家のシチリア王カルロ1世(シャルル・ダンジュー)の下で、ノーラはギ・ド・モンフォール (Guy de Montfort, Count of Nola) シモン・ド・モンフォールの子)に与えられた。その後、ノーラ伯の地位は長女の夫であるオルシーニ家に引き継がれ、一族によって保持された。

近代

1460年のノーラの戦い(サルノの戦い (Battle of the Sarno (1460)) )では、アンジュー家のカラブリア公ジャン2世が巧みな戦略でナポリ王フェルディナンド1世を打ち破り、フェルディナンドはわずか20人で戦場を逃れた。しかし、フェルディナンドには教皇ピウス2世や、ミラノ公フランチェスコ・スフォルツァ、アルバニアのスカンデルベグらによって支持されており、彼の妻イザベラ (Isabella of Clermont) がジャンの支持者を奪うことに成功すると、フェルディナンドは次の10年間で彼の領土を回復した。ノーラはその後、15世紀と16世紀に地震による破壊が繰り返された後、重要性を失った。

1820年ナポリ王国の軍人であったグリエルモ・ペペ将軍率いるナポリ革命がノーラで始まった(カルボナリも参照)。

社会

環境問題

「死の三角地帯」

アチェッラマリリアーノ、ノーラ一帯では、不法な廃棄物処理によって深刻な健康被害が出ており、「死の三角地帯」(Triangolo della morte) という不名誉な称号を得ている[9]。1980年代頃から当地の犯罪組織カモッラが有害廃棄物の不法投棄や焼却に関わった影響で、周辺地域ではがん患者などが増加している[9]

交通

鉄道

RFI旧イタリア国鉄
チルクムヴェスヴィアーナ鉄道

道路

南北に長い市域を、北西から南東にA30が縦貫している。市域中部、市街地北側にA16が横断している。A16とA30は、市域西部のジャンクション(所在地はノーラとサン・ヴィタリアーノにまたがる)で交差する。

アウトストラーダ

人物

著名な出身者

  • ノーラの聖フェリクス - 3世紀の殉教者、キリスト教の聖人。
  • ジョヴァンニ・ダ・ノーラ - 15-16世紀の彫刻家。
  • ジョヴァンニ・ドメニコ・ダ・ノーラ - 16世紀の作曲家。
  • ジョルダーノ・ブルーノ - 16世紀のドメニコ会修道士・哲学者。

ゆかりの人物

脚注

  1. 国立統計研究所(ISTAT). Total Resident Population on 1st January 2017 by sex and marital status (英語). 2018年1月9日閲覧。
  2. 国立統計研究所(ISTAT). Tavola: Popolazione residente - Napoli (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001. (イタリア語). 2016年4月20日閲覧。
  3. 国立統計研究所(ISTAT). Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Napoli (dettaglio comunale) - Censimento 2001. (イタリア語). 2016年4月20日閲覧。
  4. 地図上で2地点の方角・方位、距離を調べる”. 2016年4月20日閲覧。"Nola, Italia"で検索。
  5. British Museum, London: BM, https://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=463914&partId=1&place=35027&plaA=35027-3-1&page=1 Object 463914.
  6. Mommsen, Corp. Inscr. Lat., Vol. X, p. 142.
  7. Mommsen asserts that roads apparently ran directly to Nola from Neapolis and Pompeii, but Heinrich Kiepert's attached map does not indicate their route.[6]
  8. Baynes, Thomas Spencer, ed. (1878), Bell”, Encyclopædia Britannica, 9th ed., Vol. III, New York: Charles Scribner's Sons.
  9. 伊ナポリのごみ不法投棄、健康被害深刻 「死の三角地帯」”. AFP (2013年11月24日). 2016年4月20日閲覧。

外部リンク

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