ファイユーム
ファイユーム(Faiyum)は、エジプトの都市。カイロから南西に130km離れたファイユーム・オアシスにあり、同地方最大の都市。ファイユーム県の県都である。
| ファイユーム الفيوم Faiyum | |
|---|---|
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| 位置 | |
![]() ファイユーム ファイユーム (下エジプト) ![]() ファイユーム ファイユーム (エジプト) ![]() ファイユーム ファイユーム (中東) ![]() ファイユーム ファイユーム (アフリカ) | |
| 座標 : 北緯29度18分 東経30度50分 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 県 | ファイユーム県 |
| 市 | ファイユーム |
| 地理 | |
| 面積 | |
| 市域 | ? km2 |
| 標高 | 23 m |
| 人口 | |
| 人口 | (2006年現在) |
| 市域 | 316,772人 |
| その他 | |
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
概要
ファイユーム地方はナイル川の支流のひとつが注ぎ込んでできたカルーン湖の近くにあり、肥沃な農地が広がっていたため、エジプト古王国時代から人が住み着いていた。現在のファイユームの町ができたのはエジプト中王国時代であり、当時はシェデト(ギリシア語・クロコディポリス)という名だった。中王国時代にはファイユームは墳墓の地として多数のピラミッドが作られ、現在も多数残存している。その後、プトレマイオス朝時代にはアルシノエ県(英: Arsinoe[1])という名で知られていた。エジプトがローマ帝国の属州に編入された紀元前後には「ミイラ肖像画」が作られるようになり、ファイユームのハワーラ (en:Hawara) とアンティノポリス (en:Antinoopolis) から多数出土している。そのためミイラ肖像画の総称として「ファイユームのミイラ肖像画」と呼ばれることもある。
現在でも肥沃な農地と豊富な水に恵まれており、その水を分配していた水車は現在でもファイユームの名物となっている。近隣で取れた綿花や小麦などの集散地となっており、また、カイロからの交通の便もよく、ナイル河谷からは鉄道も通じている。
脚注
関連項目
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