ファフリ・コルテュルク

ファフリ・コルテュルク(トルコ語:Fahri Korutürk、1903年8月3日 – 1987年10月12日)は、トルコの政治家、軍人、外交官。第6代トルコ大統領を務めた。

ファフリ・コルテュルク
Fahri Korutürk


任期 1973年4月6日 – 1980年4月6日
首相 フェリト・メレン
ナイム・タル
ビュレント・エジェヴィト
サーディー・ウルマク
スュレイマン・デミレル
ビュレント・エジェヴィト
スュレイマン・デミレル
ビュレント・エジェヴィト
スュレイマン・デミレル

出生 1903年8月3日
オスマン帝国の旗 オスマン帝国 イスタンブール
死去 1987年10月12日
トルコの旗 トルコ イスタンブール
政党 無所属
出身校 トルコ海軍兵学校
配偶者 エメル・コルテュルク
子女 3人
署名

経歴

1903年8月3日にイスタンブールに誕生する。1916年に海軍兵学校(Bahriye Mektebi)に入学し、1923年に卒業した。海軍大学校(Deniz Harp Akademisi)を1933年に卒業。巡洋艦や潜水艦の乗組を経て、大使館付武官としてローマ・ベルリン・ストックホルムに駐在。1936年にはモントルー条約の締結交渉に軍の専門家として参加している。1950年に少将に昇進。大将に昇進するまで様々な要職を経験し、1960年に海軍総司令官を退任して退役した。

退役直後にジェマル・ギュルセル大統領により駐ソビエト連邦大使、次いで駐スペイン大使に任命される。1968年にはジェヴデット・スナイ大統領により上院議員に指名された。1973年4月6日にトルコ大国民議会により第6代トルコ大統領に選出される。7年の任期を全うし、1980年4月6日に退任した。

しかし、2大政党の共和人民党と公正党の対立から議会が後任の大統領を選出できず、これを政党政治の限界と捉えた軍部が同年9月12日に軍事クーデターを起こす事態となったため、大統領職は1982年まで空位になった。退任後コルテュルクは終身上院議員となったが、クーデタ後の憲法改正で上院は廃止された。

1944年に結婚して2男1女をもうけた。彼の苗字は初代大統領ケマル・アタテュルクから授かったものである。コルテュルクは1987年にイスタンブールで死去し、アンカラの国家墓地に葬られた。

外部リンク

  • コルテュルク略歴(トルコ共和国大統領府)(英語)(トルコ語)
先代
テキン・アルブルン(代行)
トルコの旗 トルコ大統領
第6代:1973年4月6日 – 1980年4月6日
次代
イフサン・サブリ・チャーラヤンギル(代行)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.