ファルハード・マジーディー

ファルハード・マジーディー (1976年6月3日 - 、ラテン文字:Farhad Majidi、ペルシア語: فرهاد مجیدی ‎) は、イラン・テヘラン出身の元プロサッカー選手、元同国代表選手である。現役時代のポジションはMF。現在はエステグラルFCの監督を務めている。2010年、マジーディーはアジア年間最優秀選手賞の候補に選ばれ、投票により2位を獲得した。IFFHSにより、2010年度最も人気のあった現役サッカー選手に認定された。

ファルハード・マジーディー
名前
本名 ファルハード・マジーディー・ガディーコラーイー[1]
基本情報
生年月日 (1976-06-03) 1976年6月3日(47歳)
出身地 テヘラン[1]
身長 177cm
選手情報
ユース
1993–1995 バフマン
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1995–1997 イランの旗 バフマン 19 (7)
1997–1999 イランの旗 エステグラル
2000 オーストリアの旗 ラピード・ウィーン 12 (2)
2000 イランの旗 エステグラル 3 (0)
2000–2006 アラブ首長国連邦の旗 アル・ワスル
2003 → アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン (ローン) 3 (1)
2006 → アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ・ドバイ (ローン) (6)
2006–2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル 14 (4)
2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・アハリ・ドバイ 9 (1)
2007–2013 イランの旗 エステグラル 118 (39)
2012 → カタールの旗 アル・ガラファ (ローン) 15 (6)
通算 229 (116)
代表歴
1996–2011  イラン 45 (10)
監督歴
2018-2019 スペインの旗 エスパニョール-U16 (アシスタント)
2018-2019 イランの旗 エステグラル (アシスタント)
2019 イランの旗 エステグラル (監督代行)
2019 イランの旗 イラン U-23
2019-2020 イランの旗 エステグラル
2021-2022 イランの旗 エステグラル
2022- アラブ首長国連邦の旗 アル・イテハド・カルバ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

クラブキャリア

エステグラルで数年プレーした後、マジーディーはSKラピード・ウィーンからオファーを受けた。しかし、オーストリアへの完全移籍ではなかったため、エステグラルはその後UAEリーグのアル・ワスルFCへと移籍させた。

UAEリーグでは同じイラン人のアリーレザー・ヴァーヘディー・ニークバフトとともに、マジーディーは多くのゴールを挙げ得点王争いを演じた。しかしその後マジーディーは怪我のため戦列を離れ、得点王は獲得できなかった。

マジーディーのキャリアにおいて最も活躍した時期の一つがアル・アインFCへと短期間のローン移籍した期間である。マジーディーはAFCチャンピオンズリーグ2002-03準決勝の大連実徳戦で得点を挙げ、アル・アインFCをAFCチャンピオンズリーグ決勝の舞台に導いた。その後マジーディーはクラブ史上初となるAFCチャンピオンズリーグ (前身のアジアクラブ選手権も含む) の優勝を成し遂げた。

アル・ワスルFCでは5年間プレーし100以上のゴールを決めた。2006年にアル・ワスルを退団し、UAEのクラブアル・ナスルSCに加入した。

2007年2月10日、マジーディーはシーズン終了までアル・アハリ・ドバイと契約をかわした。シーズン終了後、マジーディーはエステグラルと一年契約をかわした。マジーディーはエステグラルとの契約をさらに2年間延長し攻撃的MFとして活躍、2008-09シーズンにはリーグ優勝の原動力となった。彼は2009-10シーズンも好調を維持しチームの得点王及びACLの得点王も獲得した。

2011年12月21日、マジーディーは個人的な事情からエステグラルを離れ、カタールのアル・ガラファSCに加入した[2]。

マジーディーは2012年9月28日にエステグラルが契約延長を拒否しチームスタッフとしての契約を打診したことでサッカー選手としての引退を発表したが [3][4]、後にこの発言を撤回、2012年12月18日に18ヶ月の契約を結び再びエステグラルでプレーすることになった[5]。

しかし、2013年10月29日に、契約が残ってるにもかかわらず突如引退を発表した[6]。

統計

パフォーマンス リーグ カップ 国際大会 合計
シーズンクラブリーグ 出場ゴール 出場ゴール 出場ゴール 出場ゴール
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
1996–97バフマンアーザーデガーン・リーグ1910
1999–00エステグラル144
オーストリア リーグ オーストリア・カップ UEFAカップ 合計
1999–00ラピード・ウィーンブンデスリーガ122
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2000–01エステグラルアーザーデガーン・リーグ30
UAE リーグ プレジデントカップ ACL 合計
2001–02アル・ワスルUAEリーグ87
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2001–02エステグラルイラン・プロリーグ115
UAE リーグ プレジデントカップ ACL 合計
2002-03アル・ワスルUAEリーグ 12–
→ アル・アイン–4141
2003-04アル・ワスル13–
2004-057–
2005-06→ アル・アハリ・ドバイ (ローン)2011–
2006-07アル・ナスル1531–4
アル・アハリ・ドバイ510–1
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2007-08エステグラルイラン・プロリーグ 22762–289
2008-092332150304
2009-10301011753816
2010-11261021653416
2011-121692000189
カタール リーグ アミールカップ ACL 合計
2011-12アル・ガラファSCカタール・スターズリーグ1563140227
イラン リーグ ハズフィー・カップ ACL 合計
2012-13エステグラルイラン・プロリーグ10000010
合計 イラン 16558179
合計 オーストリア 122
合計 UAE 5441
合計 カタール 1563140227
総合計 1202510
  • アシスト
シーズンクラブアシスト数
07/08エステグラル2
08/09エステグラル3
09/10エステグラル2
10/11エステグラル5
11/12エステグラル8
11/12アル・ガラファSC5
12/13エステグラル0

サッカーイラン代表

マジーディーは1996年12月に開催されたAFCアジアカップ1996のサッカーサウジアラビア代表戦で代表デビューを果たした。彼は当時の代表監督であったブランコ・イヴァンコヴィッチの下ではアリ・ダエイやアーラシュ・ボルハーニーの控え選手としてベンチを温める事が多く、AFCアジアカップ2004を直前に控えた2004年の代表合宿では代表招集を辞退した。その後再び招集されるようになり、2007年時点で41試合に出場、10得点を決めた。AFCアジアカップ2007前の合宿ではアミール・ガレエノーイーの下で、AFCアジアカップ2011前の合宿ではアフシン・ゴトビの下で招集された。2011年8月23日にはカルロス・ケイロス新監督のもと再び代表に招集された。マジーディーは1996年から2011年まで16年間に渡りイラン代表で活躍し最も招集歴の長い選手だったが、実際に出場した試合数は多くなかった。ファルハード・マジーディーとペルセポリスFCの主将であったアリー・キャリーミーは2014 FIFAワールドカップ・アジア予選においてイラン代表サポーターの人気を二分する選手と考えられている。2011年9月27日、マジーディーはイラン代表からの引退を表明した[7]。

獲得タイトル

イランの旗エステグラル

1位 優勝 (3) : 1997-98, 2008-09, 2012-13
1位 優勝 (1) : 2007-08
2位 準優勝 (1) : 1998-99

アラブ首長国連邦の旗アル・アイン

1位 優勝 (1) : 2002-03

アラブ首長国連邦の旗アル・アハリ・ドバイ

1位 優勝 (1) : 2005-06

カタールの旗アル・ガラファ

1位 優勝 (1) : 2012

イランの旗イラン代表

1位 優勝 (1) : 2004

イランの旗エステグラル

1位 優勝 (1) : 2021-22
2位 準優勝 (2) : 2019-20, 2020-21

プライベート

2010年、IFFHSより世界の現役サッカー選手の中で最も人気のある選手に認定された[8]。

脚注

外部リンク

タイトル
先代
アリーレザー・マンスーリーアーン
エステグラルFC主将
2008–2013
次代
メフディー・ラフマティー
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