フィニディ・ジョージ
フィニディ・ジョージ(Finidi George, 1971年4月15日 - )は、ナイジェリア・ポートハーコート出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。弟のIgeniwariとセレスティンもサッカー選手として活動していたが、Igeniwariは試合中に観客の暴動に遭い殺されている[1][2]。
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Finidi George | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1971年4月15日(53歳) | |||||
| 出身地 | ポートハーコート | |||||
| 身長 | 187cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | 引退 | |||||
| ポジション | FW (WG) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1989 |
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| 1990 |
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| 1991-1993 |
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| 1993-1996 |
| 85 | (18) | |||
| 1996-2000 |
| 130 | (38) | |||
| 2000-2001 |
| 31 | (5) | |||
| 2001-2003 |
| 35 | (7) | |||
| 2004 |
| 14 | (0) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1991-2002 |
| 62 | (6) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2021- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
オランダのアヤックス・アムステルダムで主力の1人としてUEFAチャンピオンズリーグ 1994-95を含め8つの主要タイトルを獲得し、世界最高の右WGとまで呼ばれた[3][4]。その後スペインのレアル・ベティスに数年在籍し、引退する前年までイングランドの舞台でプレーしていた。
代表では、1990年代に主力を務めFIFAワールドカップに2度出場した。
経歴
クラブ
母国ナイジェリアの3つのクラブでプレーした後、1993年に17歳の同胞ヌワンコ・カヌと共にアヤックス・アムステルダムへ移籍した。入団1シーズン目から主力として27試合4得点と活躍し、リーグタイトル獲得に貢献。翌年以降も優勝し3連覇を達成、UEFAチャンピオンズリーグの舞台では1994-95シーズンにACミランを破り優勝したのを含め2シーズン連続で決勝の舞台でプレーした。
1996年にスペインへと渡りプリメーラ・ディビシオンのレアル・マドリードへの移籍が破断した[5]ものの、同カテゴリーのレアル・ベティスと契約すると、ほぼすべてのシーズンで2桁得点を挙げる活躍を見せた。また、チームとしては加入1年目にリーグ戦4位となり、コパ・デル・レイでは決勝戦まで進出し、FCバルセロナに2-3で敗れたものの延長戦まで持ち込むなど躍進した。
1999-2000シーズンにチームがセグンダ・ディビシオンに降格したため、RCDマヨルカで1シーズン在籍。その後、ジョージ・バーリー監督率いるイングランドのイプスウィッチ・タウンFCへ[6]移籍金310万ポンド[7]で加入した。ポートマン・ロードでダービー・カウンティFC相手に2得点を挙げ3-1の勝利に貢献するも、全体的に期待されたほどのプレーを見せることはなく、チームは移籍1年目に降格。2003年6月に契約解除された。
2003年11月に32歳で古巣マヨルカのトライアルを受け[8]、2004年1月に復帰[9]。チームは常に残留争いに巻き込まれていたものの、最終的に11位で終わった。スペインや中東のクラブからのオファーもあったが、2003-04シーズンを最後に引退した。
2010年11月半ば、古巣ベティスのディレクターとしてサッカー界に復帰した[10]。
代表
1991年7月27日、アフリカネイションズカップ1992予選のブルキナファソ戦でデビューを果たすと、この試合でラシディ・イエキニに3アシストをする活躍を見せ7-1の勝利に貢献。本大会では3位に終わったものの、次のチュニジアで行われたアフリカネイションズカップ1994では代表史上通算2回目となる優勝を果たした。
FIFAワールドカップには2度出場。アメリカ合衆国で開催された1994 FIFAワールドカップではベスト16のイタリア戦まで全試合に出場し、2-0で勝利したギリシャ戦で1得点挙げ、マーキングする犬を真似たゴールセレブレーションを披露した[11]。
フランスで開催された1998 FIFAワールドカップでは、グループリーグ最終戦のデンマーク戦までの全3試合に出場。大会敗退後に代表引退を表明した[12]。
タイトル
- エールディヴィジ : 1993-94, 1994-95, 1995-96
- ヨハン・クライフ・シャール : 1994, 1995
- UEFAチャンピオンズリーグ : 1994-95
- UEFAスーパーカップ : 1995
- インターコンチネンタルカップ : 1995
脚注
- "Nigeria: Coca Cola Honours Igeniwari George"
- "Latest score: Nigeria 0-0 Morocco"
- "Nwankwo Kanu, Finidi George & the five best Nigerian performers in the Champions League"
- "Q&A with Finidi George - Part I"
- "Finidi George: I almost joined Real Madrid in 1996"
- "Finidi passes Ipswich medical"
- "Finidi agrees Ipswich move"
- "Finidi returns to Spain"
- "Finidi returns to Mallorca"
- "Finidi George:I am proud to be back in Real Betis"
- "Top 10 dodgy goal celebrations"
- "Finidi quits after World Cup"
- "FINIDI GEORGE JOINS ENYIMBA AS NEW HEAD COACH" (Press release). エニンバFC. 15 September 2021. 2023年7月15日閲覧。
- Oluwashina Okeleji (2021年9月17日). “Finidi George: Former Nigeria star aims to repay Enyimba's faith”. BBCスポーツ. 2023年7月15日閲覧。
外部リンク
- フィニディ・ジョージ – FIFA主催大会成績
- フィニディ・ジョージ - Soccerbase
- フィニディ・ジョージ - National-Football-Teams.com