フェルディナント・アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル=ベーヴェルン公)

フェルディナント・アルブレヒト1世(ドイツ語:Ferdinand Albrecht I., 1636年5月22日 - 1687年4月25日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公の1人で、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル=ベーヴェルン公(在位:1667年 - 1687年)。ヴォルフェンビュッテル侯アウグスト2世とその3番目の妻エリーザベト・ゾフィー・フォン・メクレンブルクの息子。ルドルフ・アウグストとアントン・ウルリヒの弟。ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家の始祖。ロシア皇帝イヴァン6世とプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は曾孫、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世とベルギー王レオポルド1世は玄孫、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世とベルギー王レオポルド2世とヴィクトリア女王は来孫、ドイツ皇帝フリードリヒ3世とロシア皇帝アレクサンドル2世とベルギー王アルベール1世とイギリス王エドワード7世とポルトガル王ルイス1世とブルガリア王フェルディナンド1世は昆孫、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とロシア皇帝アレクサンドル3世とベルギー王レオポルド3世とイギリス王ジョージ5世とポルトガル王カルロス1世とブルガリア王ボリス3世は仍孫、ロシア皇帝ニコライ2世とベルギー王アルベール2世とイギリス王ジョージ6世とポルトガル王マヌエル2世とシメオン・サクスコブルクゴツキは雲孫である。

フェルディナント・アルブレヒト1世
Ferdinand Albrecht I.
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公
在位 1667年 - 1687年

出生 (1636-05-22) 1636年5月22日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ブラウンシュヴァイク
死去 (1687-04-25) 1687年4月25日(50歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ベーヴェルン
配偶者 クリスティーネ・フォン・ヘッセン=エシュヴェーゲ
子女 一覧参照
家名 ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家
父親 ヴォルフェンビュッテル公アウグスト2世
母親 エリーザベト・ゾフィー・フォン・メクレンブルク

生涯

アウグスト2世の3男としてブラウンシュヴァイクに生まれた。1666年に父が死ぬと、ヴォルフェンビュッテル侯家の3兄弟はその遺産を分割相続したが、末息子のフェルディナント・アルブレヒトはベーヴェルンの宮殿といくつかの封建的な特権を分けられ、2人の異母兄、ルドルフ・アウグストとアントン・ウルリヒが共同で治めるヴォルフェンビュッテル侯領の支配権を有しない代わりに、一定の補償金を与えられることになった。

しかし、フェルディナント・アルブレヒト1世は年をとるにつれて奇矯な振る舞いが多くなり、弟の乱行を見かねた兄達がベーヴェルンの宮殿に軍隊を差し向けることもあったという。1687年の死後、同名の息子フェルディナント・アルブレヒト2世がベーヴェルン公の座を継いた。フェルディナント・アルブレヒト2世は1735年に跡取りのいなくなった本家のヴォルフェンビュッテル侯領を相続したが同年に急死、もう1人の息子エルンスト・フェルディナントがベーヴェルン公を、孫のカール1世がヴォルフェンビュッテル侯領を相続した。

子女

1667年、ヘッセン=エシュヴェーゲ方伯フリードリヒの娘クリスティーネと結婚し、9人の子女をもうけた。

爵位・家督
先代
新設
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル=ベーヴェルン公
1667年 - 1687年
次代
フェルディナント・アルブレヒト2世
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