フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (ザクセン=アルテンブルク公)

生涯

フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は、ザクセン=ヴァイマル公フリードリヒ・ヴィルヘルム1世とその2番目の妃アンナ・マリア・フォン・プファルツ=ノイブルクの末息子である。父の死から8か月後に生まれた。

生後まもなく、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と兄たちはザクセン=アルテンブルクを継承した。1618年までザクセン選帝侯クリスティアン2世およびヨハン・ゲオルク1世が後見人をつとめ、その後は兄ヨハン・フィリップが公領の統治と弟たちの後見人をつとめた。

1632年までに2人の兄が死去し、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世と兄ヨハン・フィリップが共同統治をおこなうこととなった。しかし実際にはヨハン・フィリップが事実上は単独の統治者であった。1639年にヨハン・フィリップが死去するまではフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は名目上の統治者であり[1]、兄の死後にフリードリヒ・ヴィルヘルム2世は単独統治を開始した。

1660年、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はテマールおよびマイニンゲンの町を手に入れた。1664年にフンメルスハインに狩猟館(Jagdschloss)を建設し、1665年には2番目の妃マグダレーナ・ジビュレのため、アルテンブルクに「マグダレーネンシュティフト」と呼ばれる美しい寡婦館(Witwensitz)を建設した[2]。

フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の死後、次男で唯一生存していた息子フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が公位を継承した。

結婚と子女

1638年9月18日にアルテンブルク城において、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はクリスティアン・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルクの一人娘ゾフィー・エリーザベトと結婚した[1]。ゾフィー・エリーザベトはその12年後に子女なく死去した。

1652年10月11日にドレスデンにおいて、かつて後見人をつとめたザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の娘マグダレーナ・ジビュレと再婚した。2人の間には3子が生まれた[1]。

  • クリスティアン(1654年2月27日 - 1663年6月5日)
  • ヨハンナ・マグダレナ(1656年1月14日 - 1686年4月14日) - 1671年10月25日にザクセン=ヴァイセンフェルス公ヨハン・アドルフ1世と結婚
  • フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(1657年7月12日 - 1672年4月14日) - ザクセン=アルテンブルク公

脚注

  1. August Beck (1877), “Friedrich Wilhelm II. (Herzog von Sachsen-Altenburg)” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 7, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 792–794
  2. “Evang.-Luth. Magdalenenstift Altenburg: Geschichte”. 2021年3月22日閲覧。

参考文献

先代
ヨハン・フィリップ
ザクセン=アルテンブルク公
1639年 - 1669年
次代
フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
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