フレディ・リンドストロム

フレディ・リンドストロム(Frederick Charles "Freddie" Lindstrom、 1905年11月21日 - 1981年10月4日[1])は、1920 - 1930年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは三塁手、外野手。イリノイ州シカゴ生まれ。右投げ右打ち。

フレディ・リンドストロム
Freddie Lindstrom
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 イリノイ州シカゴ
生年月日 1905年11月21日
没年月日 (1981-10-04) 1981年10月4日(75歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手、外野手
初出場 1924年4月15日
最終出場 1936年5月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1976年
選出方法 ベテランズ委員会選出

経歴

16歳の時にシカゴ・カブスとニューヨーク・ジャイアンツのトライアウトに参加、その後当時通っていた学校を中退してマイナーリーグのトレド・マッドヘンズに在籍していた。1924年、トレドのチームメイトだったビル・テリーとともに18歳でニューヨーク・ジャイアンツに入団、52試合に出場する。同年ジャイアンツがワールドシリーズに駒を進め、リンドストロムはワールドシリーズ史上最も若い出場選手となった。

入団3年目からコンスタントに3割を打てる打者に成長、1928年にリーグ最多の231安打と打率.358、107打点を記録し、その年のMVP候補となった。1930年にもシーズン231安打、106打点、打率.379と活躍するが、この年は同僚のビル・テリーが4割打者となった年で、打撃タイトルには手が届かなかった。

1932年のオフにトレードでパイレーツに移籍。パイレーツでは外野手を勤めていた。2年後の1935年にはカブスへ移り、自身2度目のワールドシリーズ出場を果たした。翌1936年シーズンを最後に31歳で現役を引退した。

1976年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。1981年にシカゴにて死去。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1924 NYG 5288791920310254312--6--110--.253.314.316.630
1925 104385356431021512415333595--22--220--.287.332.430.761
1926 1406125439016419992287611--28--39--221--.302.351.420.771
1927 13861956210717236872455810--15--40--240--.306.354.436.790
1928 153687646992313991433010715--14--25--221--.358.383.511.894
1929 13060054999175236152559110--21--30--028--.319.354.464.819
1930 1486716091272313972235010615--14--48--033--.379.425.575.999
1931 7832930338911265130365--0--26--012--.300.356.429.785
1932 1446265958316126515242926--3--27--128--.271.303.407.710
1933 PIT 1385965387016739105241551--25--33--02210.310.350.448.798
1934 97414383591112444155491--6--23--22110.290.333.405.738
1935 CHC 9036334249942243133621--10--10--11311.275.297.389.686
1936 BRO 26114106122840032101--3--5--074.264.297.302.599
通算:13年 14386104561189517473018110325197798410146--334--1327635.311.351.449.800
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録

脚注

  1. 達成者はメジャーリーグで4人

出典・外部リンク

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