ホセ・エウロヒオ・ガラテ

ホセ・エウロヒオ・ガラテ(José Eulogio Gárate Ormaechea, 1944年9月20日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州出身の元サッカー選手。スペイン代表である。ポジションはFW。

ホセ・エウロヒオ・ガラテ
1973年のガラテ
名前
本名 ホセ・エウロヒオ・ガラテ・オルマエチェア
José Eulogio Gárate Ormaechea
ラテン文字 José Eulogio Gárate
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1944-09-20) 1944年9月20日(79歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン サランディ
身長 178cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 右足
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1963-1965 スペインの旗 SDエイバル
1965-1966 スペインの旗 SDインダウチュ 23 (14)
1966-1977 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 241 (109)
代表歴
1967-1975 スペインの旗 スペイン 18 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

スペイン内戦の影響でアルゼンチンへと疎開していたバスク人の祖父の影響で自身もアルゼンチンに生まれた[1]。内戦終了後スペインへと帰国し、1963-64シーズンにテルセーラ・ディビシオンに所属していたSDエイバルでキャリアをスタートさせた。

1966年7月、アトレティコ・マドリードへ移籍した。アトレティコ・マドリードではストライカーのポジションを確保し、1968-69シーズンからは3シーズン連続でピチーチ賞に輝くなど持ち前の得点能力を活かして得点を量産した[2]。

1976-77シーズンに現役を引退するが、キャリアを通して紳士的なプレーを継続していたため、キャリアの中でレッドカードは一度のみだった[3]。また、引退を決断した理由は、1976-77シーズンのエルチェCF戦で負った膝の負傷箇所で細菌感染を引き起こし、治療を行なった結果激しい運動に耐えられる膝では無くなったためである[4]。

人物

サッカーと並行してマドリード工科大学で工学の学士を取得している[5]。

タイトル

クラブ

アトレティコ・マドリード

個人

関連項目

脚注

  1. Rural, Álvaro Corazón (2014年3月7日). “Gárate: «El mejor Atlético de la historia es el de ahora» - Jot Down Cultural Magazine” (スペイン語). 2024年5月6日閲覧。
  2. MARCA.com (2015年1月31日). “Gárate: "Es una lástima que no puedan ganar los dos"” (スペイン語). MARCA.com. 2024年5月6日閲覧。
  3. “Gárate, el ingeniero del área” (スペイン語). AS.com (2015年6月25日). 2024年5月6日閲覧。
  4. “Jose Eulogio Garate, el ingeniero del gol”. MARCA.com. 2024年5月6日閲覧。
  5. “Homenaje en MARCA RETRO a José Eulogio Gárate el día de su cumpleaños” (スペイン語). MARCA (2021年9月20日). 2024年5月6日閲覧。

外部リンク

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