マウレタニア・カエサリエンシス

マウレタニア・カエサリエンシス(羅: Mauritania Caesariensis 「カエサルのマウレタニア」)とは、現在でいうアルジェリアのマグリブに存在したローマの属州である。首都はカエサリア(現在のシェルシェル)。隣接する属州で、タンジェを首都とするマウレタニア・ティンギタナと区別するため、首都の名前を冠して呼ばれる。

Provincia Mauretania Caesariensis
ローマ帝国の属州
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紀元後42年 - 7世紀 →
マウレタニア・カエサリエンシスの位置
マウレタニア・カエサリエンシスの位置
紀元後125年前後のマウレタニア・カエサリエンシス属州
政庁所在地 カエサリア
時代 古代
 - アフリカ属州再編 紀元後42年
 - ムスリム征服 7世紀
現在 アルジェリアの旗 アルジェリア

歴史的背景

皇帝ハドリアヌス在位時(117–138)のローマ帝国の領域。マウレタニア・カエサリエンシスは皇帝属州であった。

紀元後1世紀、ローマ皇帝クラウディウスは最西端のローマの属州であったアフリカ属州をマウレタニア(マウリ人の土地)と改名し、同時にマウレタニア・カエサリエンシス(カエサリアを首都とする)とマウレタニア・ティンギタナとに分割した。

ディオクレティアヌスのテトラルキアに伴う再編において、マウレタニア・カエサリエンシスの最東部は内陸の都市シティファを首都とし、サルデ(現在のベジャイア)を主要港とするマウレタニア・シティフェンシスに分割された。

マウレタニア・カエサリエンシスにはアウグストゥスの設置した八つの植民都市、カルテンナ、グヌグ、イギルギリ、ルスグニエ、ルサズ、サルデ、ズッカバル、トゥブスクトゥと、クラウディウスの設置した二つの植民都市、カエサリア(ユバがパトロンであったアウグストゥスを称え、彼の首都ロルを改名)とオッピドゥム・ノウム、ネルウァの設置したシティファ、さらに後にはアルセナリア、ビダ、シガ、アクエ・カリデ、クイザ・クセニタナ、ルスクール、アウジア、 ギルウァ、ティパサの、あわせて21の有名な植民都市と、いくつかのムニキピウム、および「オッピーダ・ラティーナ」があった。

ディオクレティアヌスおよびコンスタンティヌス大帝の時代には、シティフェンシスおよびカエサリエンシスはイタリア道内のアフリカ管区に、ティンギタナはヒスパニア管区の辺境に再編された。カエサリアは330年まではユダヤ教の主要中心地の一つであり、シティファはミトラ教の中心地の一つであった。キリスト教は四世紀から五世紀にかけて広まった。

宗教

支配階級の間では、430年にジブラルタル海峡から渡来したヴァンダル族により成立したゲルマン王国の下でアリウス派に代わり三位一体派が広まった。ヴァンダル王国はビザンツ軍に533年前後に滅ぼされるが、マウレタニア・カエサリエンシスのほとんどはマスティガスのようなムーア人の支配下に残り、内陸部にまでビザンツ帝国の支配が確立するのは560年代から570年代にかけてである。ムスリムによるマグリブ征服によりビザンツ帝国のアフリカ総督府およびこの地方の後期古代ローマ文化は終焉を迎えた。元マウレタニア・カエサリエンシスのほとんどの部分はイスラム王朝領の最西部となり、日の沈む土地という意味のマグリブと呼ばれるようになった。

司教管区

Annuario Pontificio に掲載されているマウレタニア・カエサリエンシスにおける名義司教区の一覧を以下に掲げる[1]。

* Ala Miliaria (Beniane)

経済

ローマ支配化における北部アフリカ

マウレタニア・カエサリエンシスの主要輸出物は紫色染料と高級木材であり、加えてアマーズィーグまたはマウリ人は兵士として、特に軽騎兵としてローマ人に高く評価されていた。出身者にはトラヤヌス帝の最高指揮官、ルシウス・クィエトゥスやマクリヌス帝が挙げられる。

関連項目

出典

  1. Annuario Pontificio 2013 (Libreria Editrice Vaticana, 2013, ISBN 978-88-209-9070-1), "Sedi titolari", pp. 819-1013

参照文献

  • Westermann, Großer Atlas zur Weltgschichte (ドイツ語)
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