マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア(Margherita Violante di Savoia, 1635年11月15日 - 1663年4月29日)は、イタリアのサヴォイア家の公女で、パルマ公ラヌッチョ2世の最初の妻。名はヨランダ・マルゲリータ・ディ・サヴォイア(Iolanda Margherita di Savoia)とも呼ばれる[1]。

マルゲリータ・ヴィオランテ・ディ・サヴォイア
Margherita Violante di Savoia
パルマ公妃
在位 1660年 - 1663年

出生 (1635-11-15) 1635年11月15日
サヴォイア公国、トリノ、ヴァレンティーノ城
死去 (1663-04-29) 1663年4月29日(27歳没)
パルマ公国、コロルノ、公爵宮殿
埋葬 パルマ公国、パルマ、サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会
結婚 1660年4月29日 トリノ
配偶者 パルマ公ラヌッチョ2世・ファルネーゼ
家名 サヴォイア家
父親 サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世
母親 クリスティーヌ・ド・フランス

生涯

サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世とその妻でフランス王アンリ4世の娘であるクリスティーヌの間の第5子、次女として生まれた。

野心的な母はマルゲリータ・ヴィオランテを甥のフランス王ルイ14世に嫁がせようと画策したが、同時にスペイン王フェリペ4世も娘のマリア・テレサとルイ14世との縁組を望んでいた。ルイ14世とマルゲリータ・ヴィオランテは1658年11月にリヨンで見合いをし、見合いの場には王太后アンヌ、王弟のアンジュー公、王の従姉グランド・マドモワゼル(大姫君)、王の寵姫マリー・マンチーニらも同席していた。フランス王室の一行は、マルゲリータ・ヴィオランテを美人だが日焼けしすぎていると評し、また無口な姫だと判断した。結局、フランス側はフランス・スペイン戦争の講和という実益を重視してマリア・テレサを王妃に選んだ。

マルゲリータ・ヴィオランテは1660年4月29日、パルマ公ラヌッチョ2世と結婚した。夫との間には2人の息子を産んだが、長男は死産児で、次男は生後3日目に死去した。そしてマルゲリータ・ヴィオランテ自身も、次男の出産の2日後に亡くなった。遺骸はパルマのサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会に安置された。夫は1663年にモデナ公女イザベッラ・デステと再婚している。

脚注

  1. Savoy3
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