マルフリート・ファン・オラニエ=ナッサウ

マルフリート・フランシスカ・ファン・オラニエ=ナッサウ(Margriet Francisca van Oranje-Nassau、1943年1月19日 - ) は、元オランダ女王ユリアナの三女。父は王配ベルンハルト。姉に前オランダ女王ベアトリクス、イレーネ、妹にクリスティーネがいる。現国王ウィレム=アレクサンダーの叔母であり、王位継承順位は最下位の8位である[1]。

マルフリート・ファン・オラニエ=ナッサウ
Margriet Francisca van Oranje-Nassau
オラニエ=ナッサウ家
マルフリート王女(2005年)

全名 Margriet Francisca
マルフリート・フランシスカ
出生 (1943-01-19) 1943年1月19日(81歳)
カナダの旗 カナダ オンタリオ州オタワ オタワ市民病院(治外法権下)
配偶者 ピーテル・ファン・フォレンホーフェン
子女 マウリッツ
ベルンハルト
ピーター=クリスティアーン
フロリス
父親 ベルンハルト
母親 オランダ女王ユリアナ
宗教 オランダ・プロテスタント教会
オランダ王室

国王ウィレム=アレクサンダー
王妃マクシマ



傍系王族
  • オラニエ=ナッサウ公子妃メイベル
    • オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢ルアナ
    • オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢ザリア
  • コンスタンティン王子
    ローレンティン妃
    • オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢エロイーゼ
    • オラニエ=ナッサウ伯爵令息クラウス=カシミール
    • オラニエ=ナッサウ伯爵令嬢レオノーレ

  • イレーネ王女
    • パルマ公カルロス
      アンネマリー妃
    • コロルノ伯爵マルガリータ公女
    • バルディ伯爵ハイメ公子
      ヴィクトーリア妃
    • サーラ侯爵カロリーナ公女
  • マルフリート王女
    ピーテル・ファン・フォレンホーフェン
    • マウリッツ王子
      マリレーネ妃
    • ベルンハルト王子
      アネッテ妃
    • ピーテル=クリスティアン王子
      アニタ妃
    • フローリス王子
      エメ妃

誕生

マルフリート王女は、オタワのオタワ市民病院[2] で、ユリアナとベルンハルトとの間に生まれた。ユリアナは女王ウィルヘルミナの推定相続人だった。

1940年6月にナチス・ドイツによってオランダが占領されて以来、オランダ王族はカナダに疎開していた。マルフリートが生まれるとき、オタワ市民病院のユリアナが滞在していた病室は、カナダ政府によって一時的に治外法権が宣言された[3][4][5]。これにより、病室はカナダの領域外ということにし、法的にどこの国にも属さない国際領土の扱いとした。これは、ユリアナが生んだ子供が、確実にオランダの国籍のみを有するようにするための措置であった。カナダは出生地主義であり、カナダ領内で生まれた子供には自動的にカナダの国籍が与えられる。しかし、オランダは二重国籍を認めていないので、カナダの国籍を持っているとオランダ国籍を喪失することになる。当時のオランダの王位継承順位は男子優先だったため、生まれてくる子供が男子だった場合は王位継承順位が2人の姉よりも上になり、将来国王になる可能性が高くなる。そのため、一時的に「カナダ領ではない」と宣言し、カナダの国籍が与えられないようにした。

カナダ政府が病室をオランダ領と宣言したというのはよくある誤解である。オランダの国籍法は主に血統主義に基づいており、出生地がどこであってもオランダ国籍の者の子にはオランダ国籍が与えられるため、病室をオランダ領にする必要はなかった。

オランダ王室はこの恩義への返礼として、毎年チューリップの球根をオタワ市に贈っている。

マルフリートの名は、ナチス・ドイツへの抵抗の象徴として戦争中に身に着けられた花であるフランスギク(margriet)にちなんで命名された。1943年6月29日、オタワのセント・アンドリュー長老派教会で洗礼を受けた。彼女の代父母は、アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルト、イギリス王太后メアリー、ノルウェー王太子妃マッタと、ユリアナ王女のカナダでの女官のMartine Roellが務めた[6]。

戦後

マルフリート王女(1964年)

オランダが解放された1945年8月、マルフリートは初めてオランダの地に立った。ユリアナとベルンハルトは、戦争前に住んでいたバールンのスーストデイク宮殿に戻った。

ライデン大学在学中に、将来の夫となるピーテル・ファン・フォレンホーフェンと出会った。1965年3月10日に婚約が発表され、1967年1月10日にハーグの大聖ヤコブ教会で結婚した[7]。このとき、2人の間の子供は「ファン・オラニエ=ナッサウ・ファン・フォレンホーフェン」(van Oranje-Nassau, Van Vollenhoven)の称号を名乗ると宣言された。2人の間にはマウリッツ王子(1968年4月17日生)、ベルンハルト王子(1969年12月25日生)、ピーター=クリスティアーン王子(1972年3月22日生)、フロリス王子(1975年4月10日生)の4人の子供がいる。

マルフリートの一家はアペルドールンのヘット・ロー宮殿に住んでいる。

活動

カナダ・チューリップ・フェスティバルに参加するためにオタワに到着したマルフリート王女(2002年5月)

1987年から2011年までオランダ赤十字社の副総裁を務めていた。オランダ赤十字社では、マルフリート王女基金を設立している。彼女は国際赤十字赤新月社連盟の理事である。

1984年から2007年までヨーロッパ文化財団の会長を務めていた。財団では、彼女の業績に感謝してマルフリート王女文化多様性賞を設立した。

彼女は国際パラリンピック委員会の名誉委員である[8]。

脚注

  1. Current line of succession Archived 25 January 2011 at the Wayback Machine. – Official website of the Dutch Royal House
  2. Princess Margriet Archived 12 December 2013 at the Wayback Machine.. koninklijkhuis.nl
  3. “Proclamation”. Canada Gazette (1942年12月26日). 2013年7月23日閲覧。
  4. Second World War – 1943: Netherlands' Princess Margriet born in Ottawa. cbc.ca
  5. “飛び地もどき?の地区”. 世界飛び地領土研究会. 2019年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月27日閲覧。
  6. The Gift of Tulips. canadascapital.gc.ca
  7. Orange Wedding 1967 (video). britishpathe.com
  8. “Honorary Board”. IPC. 2018年12月10日閲覧。

外部リンク

上位
レオノール令嬢
オランダ王位継承権者
継承順位第8位
下位
(最下位)
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