ルク・ニリス

ルク・ギルバート・シリル・ニリスLuc Gilbert Cyrille Nilis, 1967年5月25日 - )は、ベルギーハッセルト出身の元サッカー選手、元ベルギー代表。現サッカー指導者。現役時代のポジションはセンターフォワード

ルク・ニリス
名前
本名 ルク・ギルバート・シリル・ニリス
Luc Gilbert Cyrille Nilis
愛称 ラッキー・ルク
ラテン文字 Luc Nilis
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 (1967-05-25) 1967年5月25日(56歳)
出身地 ハッセルト
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
ポジション CF
利き足 両足
ユース
1973-1980 ベルギーの旗 Halveweg Zonhoven
1980-1984 ベルギーの旗 ウィンタースラッグ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1986 ベルギーの旗 ウィンタースラッグ 47 (16)
1986-1994 ベルギーの旗 アンデルレヒト 224 (127)
1994-2000 オランダの旗 PSV 164 (110)
2000 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 3 (1)
代表歴
1982-1983 ベルギーの旗 ベルギー U-16 6 (3)
1982-1983 ベルギーの旗 ベルギー U-17 3 (2)
1983-1984 ベルギーの旗 ベルギー U-18 8 (1)
1983-1985  ベルギー U-19 11 (6)
1986-1987  ベルギー U-21 3 (0)
1988-2000 ベルギーの旗 ベルギー 55 (10)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

経歴

初期

リンブルフ州ハッセルトゾンホーフェンに生まれ、1973年に地元のKFC Halveweg Zonhovenでキャリアを始めたニリスは、1980年にKFCウィンタースラッグ(現KRCヘンク)の下部組織へ移り、1984年の17歳の時に2部を戦うトップチームでプロデビューを飾って以降、2シーズン在籍の間に47試合16得点を記録した。

アンデルレヒト

1986-87シーズンに1部の名門RSCアンデルレヒトへ移籍し、加入1季目に5得点を挙げ、キャリア初タイトルを獲得する。翌1987-88シーズンは、オーストラリア代表エディ・クルンチェヴィッチと共に強力な2トップを組むと、チーム内最多の14得点を挙げ、リーグ戦優勝こそ逃したものの、国内カップのタイトル獲得に貢献した。3季目は、さらに得点数を19得点(相方のクルンチェヴィッチは23得点で得点王)に伸ばし、カップ戦2連覇に貢献。4季目となる1989-1990シーズンは、退団したクルンチェヴィッチの代わりに今度はマルク・ヴァン・デル・リンデンと新たにコンビを組んでいくことになったが、リーグ戦は準優勝に終わり、UEFAカップウィナーズカップでは決勝戦でUCサンプドリアに0-2で敗れ、惜しくもタイトルを逃した。

同シーズン以降、エースとして毎シーズン15得点以上を決めていくことになる。1990-91シーズンにはチーム最多の19得点で久しぶりのリーグ優勝に貢献すると、1991-92シーズンは16得点、1992-93シーズンは再びチーム最多の19得点でリーグタイトルを獲得した。1993-94シーズンはリーグ2連覇を達成し、ニリス個人としてはキャリア初の20台を突破して25得点を挙げたが、クロアチア代表ヨシップ・ウェーバーがニリスより6得点上回っていたために得点王のタイトル獲得には至らなかった。最終的にアンデルレヒトでは、8シーズン在籍の間に中心選手としてリーグ戦4度、カップ戦3度の優勝を経験した。

PSV

1994年夏、かつてアンデルレヒトで指導を受けたア・デモス監督の誘いでオランダ1部の強豪PSVアイントホーフェンと契約し、移籍1季目の1994-95シーズンは、同じく新加入のブラジル代表ロナウドとコンビを組んで12得点を挙げる(ロナウドは30得点で得点王)。2季目もリーグ優勝を果たすことが出来ず、ライバルのアヤックス・アムステルダムに3連覇を許し苦杯を舐めたが、ニリス個人としては21得点で得点王となり、さらにオランダ年間最優秀選手賞ベルギー年間最優秀選手賞に輝いた。3季目の1996-97シーズンは2年連続で得点王のタイトルを獲得し、チームもリーグ王者になり充実したシーズンとなった。なお、この時にコンビを組んでいたロナウドは、引退後に自身のキャリアを振り返った際、共にプレーした中で最高の選手にニリスの名前を挙げている[1]

1998-99シーズンは、ヘーレンフェーンから加入したルート・ファン・ニステルローイコンビを組み、ニステルローイは31得点で得点王、ニリスは24得点で得点ランク2位を挙げる程の驚異的な前線を形成し、チームは同シーズンのリーグ最多得点を記録したが、フェイエノールトヴィレムIIに次ぐ3位に終わった。1999-2000シーズンは、相方のニステルローイが29得点で2年連続得点王となったことに加え、オランダ年間最優秀選手賞に輝いたアルノルト・ブルッヒンクが19得点、ニリス自身も19得点を挙げる等、得点ランク上位5位の中で3人が名前を連ねる強力な前線を形成し、総得点数でアヤックスの72得点から30以上の差を付ける105得点を叩きだすのみにとどまらず、総失点数と勝ち点も2位のSCヘーレンフェーンから10以上を離す圧倒的な強さを見せつけて優勝した。

アストン・ヴィラ

PSVと契約満了となった後は、自由契約選手として2000年7月にイングランド1部アストン・ヴィラFCと契約する。7月22日にUEFAインタートトカップ1. FKプシーブラム戦で初出場にして初得点を挙げて勝利に貢献する[2] と、8月27日のチェルシーFCとの開幕戦 (1-1) でリーグ初出場ならびにリーグ初得点を記録し[3]、早速新天地で活躍を見せていたが、出場3試合目となった9月9日のイプスウィッチ・タウンFC戦 (2-1) で相手GKのリチャード・ライトと衝突した際に足を骨折してしまった[4]。 この怪我がなかなか回復することはなかったためにプレーすることを断念し、2001年1月24日に33歳で現役引退を表明した[5]

引退後

2004年から2005年11月までベルギー2部Kベリンゲン=ヒュースデン=ゾルダーのテクニカル・ディレクターを務める。2006年2月にスカウトチームの1人として古巣のPSVに戻ると、2007年8月からは、スカウトと掛け持ちをしながら1軍のFWコーチも務めた。2011年1月にファット・チャパ監督率いるトルコ1部カスムパシャSKのアシスタントに就任するも、シーズン終了後にチームが降格したことに伴い、チャパ監督と共に同1部のゲンチレルビルリイSKへ移った。2013年6月からは、母国のKSKハッセルトのアシスタントに就任した[6]

代表

1988年3月26日のオランダ戦 (3-0) でギー・ティス監督の下でベルギー代表初出場を飾り、1994年6月24日に出場24試合目となる親善試合のザンビア戦 (9-0) で待望の初得点を記録。なお、同年にはポール・ヴァン・ヒムスト監督によって1994 FIFAワールドカップの一員に選出され、グループステージのモロッコ戦 (1-0) 、サウジアラビア戦 (0-1) 、ベスト8のドイツ戦 (2-3) に出場した。1998 FIFAワールドカップでは、ジョルジュ・レーケンス監督の下で、オランダ戦 (0-0) 、メキシコ戦 (2-2) , 韓国戦 (1-1) のグループステージ全3試合に出場して韓国戦で得点を挙げたが、チームは未勝利で敗退した。

ロベール・ヴァサイジュ監督の下で参加した母国ベルギーオランダで共同開催されたUEFA EURO 2000では、主にブランコ・ストルパールエミール・ムペンザの控えを務めることとなり、グループステージ最初の2試合のスウェーデン戦 (2-0) , イタリア戦 (0-2) では、両試合ストルパールに代わり途中出場した。グループステージ突破を懸けた3試合目のトルコ戦で先発の座を掴む出場を果たすも、得点を挙げることは出来ずにジル・デ・ビルデと交代させられ退き、最終的にチームは0-2で敗れてグループステージ敗退に終わった。なお、同試合がニリスの代表で最後の試合となり、通算56試合10得点を記録した。

私生活

元サッカー選手のロジェを父に持ち、アルネ、カロ、ヤヤの3人の子供の内、アルネはルクが所属したヘンクとPSVの下部組織でプレーし、2011年にハッセルトでプロ生活を開始させている[7]

タイトル

クラブ

RSCアンデルレヒト

PSVアイントホーフェン

個人

脚注

  1. "Ronaldo speelde het liefst met Nilis"
  2. "Merson off in Villa win"
  3. "James gives Chelsea helping hand"
  4. "Nilis clears Wright"
  5. "Nilis calls it a day"
  6. "Nilis gaat werken voor Hasselt van Stijnen"
  7. "Arne Nilis signs three-year contract with PSV"

外部リンク

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