ローリング・サンダー作戦
ローリング・サンダー作戦(英:Operation Rolling Thunder)は、ベトナム戦争において、アメリカ合衆国(米国)の空軍第2航空師団(後の第7空軍)と海軍が、ベトナム共和国空軍(RVNAF、南ベトナム空軍)とともに、ベトナム民主共和国(北ベトナム)に実施した持続的な空爆(戦略爆撃)作戦である。日本のメディアでは「北爆」と略称された。
| 北爆 ローリング・サンダー作戦 英語: Operation Rolling Thunder | |
|---|---|
![]() ローリング・サンダー作戦で、北ベトナムを空爆するアメリカ軍 | |
| 戦争:ベトナム戦争/北爆[1] | |
| 年月日:1965年3月2日 - 1968年10月31日[2] | |
| 場所:北ベトナムの南部から全土[2]。 | |
| 結果:米国と北ベトナムの交渉により作戦停止[2]。 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
| 米海兵隊3,500人 航空爆弾2,230,000トン[1] |
北ベトナム軍280,000人[3] |
| 損害 | |
| 2,000機以上撃墜[4] | 50,000人戦死・犠牲[1] |
| |
この作戦の4つの目的は、北ベトナムに支援された南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の攻勢に晒される南ベトナム(サイゴン政権)の士気を高め、北ベトナムに地上軍を送ることなく、ベトコンへの支援を中止するよう北ベトナムを圧力をかけ、北ベトナムの交通システムや産業基盤、防空網を破壊し、ベトコンへの兵員・物資の流入を止めることであった。
当時は東西冷戦下で、北ベトナムはソビエト連邦、中華人民共和国(中国)、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)といった東側諸国から軍事援助を受けていた。米国には、第三次世界大戦につながりかねない東側諸国との全面衝突を避けなければならない制約があった。更に北ベトナムは、東側諸国から入手した戦闘機(MiG-17、MiG-19、MiG-21)と地対空ミサイル、対空砲で激しく迎撃。冷戦時代に行なわれた最も激しい航空戦を経て、1968年に作戦は中止されたが、ベトナム戦争はその後もサイゴン陥落まで続いた。
徐々にエスカレートする行動
北上
反応
脚注
- “北爆/アメリカ軍の北ベトナム空爆”. 世界史の窓. 2023年6月13日閲覧。
- “歴史の中で3月2日:北ベトナムの共産主義者は、米国のローリングサンダー砲撃作戦と戦った”. VOI (2021年3月2日). 2023年6月13日閲覧。
- “戦争による国別犠牲者数”. 人間自然科学研究所. 2023年6月13日閲覧。
- “ベトナム戦争の用語”. 月刊基礎知識 (2002年9月). 2023年6月13日閲覧。
- Karnow, pps. 237–239.
- Spector, pps. 275–373.
関連項目
- ラインバッカー作戦:1972年に再開された北ベトナム爆撃。
- ヤンキー・ステーション:北ベトナム爆撃に参加した米国海軍空母機動部隊の配備海域。
- ジョン・マケイン:北ベトナムで撃墜され、捕虜生活を体験した。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
