ヴィーゼンバッハ (バーデン)

ヴィーゼンバッハ (ドイツ語: Wiesenbach) はドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)。

紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:バーデン=ヴュルテンベルク州
行政管区:カールスルーエ行政管区
郡:ライン=ネッカー郡
市町村連合体:ネッカーゲミュント自治体行政連合
緯度経度:北緯49度21分41秒 東経08度48分10秒
標高:海抜 138 m
面積:11.13 km2
人口:

3,098人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度:278 人/km2
郵便番号:69257
市外局番:06223
ナンバープレート:HD
自治体コード:

08 2 26 097

行政庁舎の住所:Hauptstraße 26
69257 Wiesenbach
ウェブサイト:www.wiesenbach.eu
首長:エリック・グラーベンバウアー (Eric Grabenbauer)
郡内の位置
地図

地理

位置

この町は州道L532号線/連邦道B45線沿いに位置する。オーデンヴァルト高原とクライヒガウ丘陵の間の127mから327mの魅力的な場所である。ハイデルベルクの東約15kmにあたる。

この町はクライン・オーデンヴァルトからクライヒガウへの門と言われる。

隣接する市町村

この町は北にネッカーゲミュント、東にロプバッハ、南にマウアー、西にバンメンタールと境を接している。

自治体の構成

自治体としてのヴィーゼンバッハには、首邑のヴィーゼンバッハの他、ランゲンツェル城とその農場が含まれる。[2]

歴史

ヴィーゼンバッハは12世紀半ばに初めて文献上に記録されている。村の南にある古城はディルスベルク城の先駆けで、1140年頃にラウフェン伯が治めた。ヴィーゼンバッハはディルスベルクとともに14世紀にプファルツ選帝侯のものとなった。1300年頃に初めて文献に登場し、元々はヴィーゼンバッハよりも大きな村でヴィーゼンバッハとともに自治体を形成していたランゲンツェルは、三十年戦争によって破壊された。その後貴族領としてヴィーゼンバッハから分離された。1803年プファルツ選帝侯の廃止とともに両村はバーデン領に移された。1925年にランゲンツェルは再びヴィーゼンバッハに併合された。

人口推移

ヴィーゼンバッハの人口推移は、クライヒガウ北部地方のそれと一致している。最初の人口増加は18世紀に記録されている。1850年頃に貧困から移住が起こった。その後人口は第二次世界大戦まで中断を経ながらも緩やかに増加していった。戦後の人口増加は、終戦直後の旧ドイツ領の東プロイセンやシレジア、チェコ領であったズデーテン地方などから逐われた人々の移住や、大規模な住宅地の造成、通勤者の居住などによりもたらされた。

年 人口(人)
143975
1577105
1727157
1777230
1818450
1850650
1905750
年 人口(人)
1925820
19611,222
19651,360
19701,674
19912,817
19952,949
20003,066
年 人口(人)
20053,155
20103,071
20153,093

1905年まではランゲンツェルを除き、以後はこれを含む。

行政

議会

ヴィーゼンバッハの議会は、12議席からなる。

紋章

図柄: 緑地に中央やや下に銀の横波帯。その上に浮かぶ黒いアルファベットのW。

この紋章は1752年から使われた裁判の印章に由来するが、印章の文字は「WB」であった。ヴィーゼンバッハは1900年にゲネラルランデスアルヒーフの提案を受け容れた。

旗は、白 - 緑で1970年に内務省の認可を得た。

友好都市

文化と見所

町の北部に広がるヘレンヴァルトにはローマ時代の農場(ヴィラ・ルスティカ)跡がある。

博物館

町役場には郷土博物館が入っている。

自然

町域の一部には、小オーデンヴァルトの「ホルムート」と呼ばれる地区を流れていた前史時代のネッカー川の湾曲部がある。

引用と脚注

  1. Statistisches Landesamt Baden-Württemberg – Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht am 31. Dezember 2021 (CSV-Datei)
  2. Das Land Baden-Württemberg. Amtliche Beschreibung nach Kreisen und Gemeinden. Band V: Regierungsbezirk Karlsruhe Kohlhammer, Stuttgart 1976, ISBN 3-17-002542-2. S. 385–386

外部リンク

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