与那原良矩
概要
唐名は、馬国器。童名は思亀、仁嶽と号す。父良暢、母は真加戸樽、馬氏小禄殿内の支流(分家)である馬氏与那原殿内(系祖・大里親方良安)九世。家譜が残っておらず詳細な経歴は不明だが、親方にまで昇っているので当時の上級士族である。1762年に進貢正使として中国へ渡り、1765年にはその報告のため薩摩へ上国した。のちに君子親方(うぇーかた)と称され、儒教の実践家としても有名であった。1769年、三司官に就任し1796年まで28年間も在任した。漢学にも優れ『琉球科律』の編纂にも関わっている。歌人としても著名で、沖縄三十六歌仙の一人である。宜湾朝保『沖縄集』に「月下擣衣(げっかとうい)」と題して、
うつおとの たえだえなるは 小夜衣 月にねられぬ すさみなるらし
が収録されている。真境名安興の『沖縄一千年史』に古来より有名な琉歌の歌人6人のうちの1人として挙げられている[1]。 系譜
4世 良安 5世 良理 6世 良義 7世 良昌 8世 良暢 9世 良矩 10世良頭 11世良慶 12世良綱 13世良恭 14世良傑
脚注
- 『真境名安興全集(第一巻)』385頁参照。
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