丸谷拓也

丸谷 拓也(まるたに たくや、1989年5月30日 - )は、日本サッカー指導者・元プロサッカー選手鳥取県西伯郡南部町(旧西伯町)出身。現役時代の登録ポジションミッドフィールダー鳥取県立境高等学校卒業

丸谷拓也
名前
愛称 マル
カタカナ マルタニ タクヤ
ラテン文字 MARUTANI Takuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-05-30) 1989年5月30日(34歳)
出身地 鳥取県西伯郡南部町
(旧西伯町
身長 179cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF / DF / FW
利き足 右足
ユース
鳥取セリオFCジュニア
2002-2004 鳥取セリオFCジュニアユース
2002 西伯町立法勝寺中学校
2005-2007 鳥取県立境高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2017 日本の旗 サンフレッチェ広島 58 (2)
2012-2013 日本の旗大分トリニータ (loan) 30 (1)
2018-2019 日本の旗 大分トリニータ 45 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月7日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

来歴

兄の影響で小学2年生からサッカーを始める[1]。小学校時代に全国大会に出場するなど、幼少の頃から地元鳥取では有名な選手であったが、高校2年まで全国的には無名な存在だった。西伯町立法勝寺中学校では鳥取教員団などで活躍した伊豆賀憲一が監督を務めていた1年時のみ選手登録しており、県中学校総合体育大会でベスト4に進出している。

高校は鳥取県立境高等学校に入学、一つ後輩に住田貴彦重成俊弥。主にトップ下、ボランチでプレー、中心選手として活躍。高校2年次の2006年および3年次の2007年と2年連続で高校選手権に出場。ただし07年12月に右足甲を骨折したため、同年の高校選手権では試合に出ていない。高校3年次の2007年、U-18日本代表に選ばれフォワードとしてプレーした。[2][3]

2008年サンフレッチェ広島に入団。同期は内田健太篠原聖横竹翔清水航平。1年目は怪我による出遅れもありトップチームには絡めず、サテライトではFWだけではなくトップ下やボランチとしてプレーした[4][5]。翌2009年6月、FWとしてナビスコカップでプロデビュー[6]、同年7月にはリーグ戦デビューを果たした。

2010年より、本格的にボランチへ転向[1]。主力選手が負傷離脱する中で[1]、若手が起用されたAFCチャンピオンズリーグの消化試合で好プレーを見せたのをきっかけにリーグ戦でも先発起用されるようになり、怪我人の復帰後もシーズン終了までコンスタントにベンチ入り、16試合に出場した。同年途中にプロA契約に移行。ただ、2012年森保一に監督が代わると、出場機会が与えられず[7] ベンチ入りすらままならなかった。

同年8月、大分トリニータ期限付き移籍。ボランチとして守備強化を期待され[8]、主力として活躍。同年末のJ1昇格プレーオフにも2試合出場し、大分のJ1昇格に貢献した[9]。翌2013年も期限付き移籍を延長し大分に在籍[9]、同年5月ナビスコ杯予選第7節サガン鳥栖戦では公式戦初のハットトリックを達成し、チームの公式戦2連勝の立役者となった[10]

2014年、広島に復帰[11]。復帰3年目の2016年には広島在籍時で最多の公式戦31試合に出場した。

2017年のシーズン終了後、再び大分から移籍オファーを受けた。自身の年齢(当時28歳)を考え「勝負しないといけない」という気持ちから、退路を断つという意味で自ら完全移籍を望み[12] 移籍を決断した[13]。開幕戦から先発出場を続け、第10節・金沢戦と第32節・熊本戦では決勝点となるゴールを決める活躍を見せた他[14][15]、球際の強さを生かした守備や[16]、前線へのパス供給でバランサーとしての役目を担った[16]。「忠実に堅実にプレーしてくれる」と監督の片野坂知宏の信頼を得て[17]、リーグ戦39試合に出場を果たしJ1昇格に貢献した。

J1に昇格した2019年はリーグ戦の先発メンバーから外れ、全て途中出場での6試合の出場に留まった。同年限りで現役を引退[18]

人物

鳥取県出身では塚野真樹以来2人目、高卒としては初のプロサッカー選手[1][2][3][4]

現役時代の主ポジションはボランチであったが、攻撃的なポジションやCBなど様々なポジションを経験した[1][2][5]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008広島28J200-0000
2009J110100020
20101604010210
201160000060
20120010-10
大分33J2140-12152
2013J11613410205
2014広島2810002030
2015704030140
20162122020252
2017607012142
2018大分33J2392-00392
20198J1606130151
通算日本J1 80328514212210
日本J2 532-12544
総通算 133528515417614
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2010広島2820-
201430-
2015-20
201660-
通算AFC 11020
その他公式戦

代表歴

  • U-18日本代表(2007年)
  • U-21日本代表(2010年)

タイトル

サンフレッチェ広島

引退後経歴

脚注

  1. 飛躍への扉”. サンフレッチェ広島 (2010年11月25日). 2011年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月11日閲覧。
  2. 飛躍へサンフレ新人 FW丸谷拓也”. 中国新聞 (2008年2月27日). 2014年1月11日閲覧。
  3. 境高の丸谷、Jリーグ・サンフレッチェ入団内定”. さかいみなとポータル (2007年11月27日). 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月11日閲覧。
  4. 境高出身のFW丸谷「プロ2年目巻き返し誓う」”. 山陰中央新報 (2009年4月22日). 2014年1月11日閲覧。
  5. MF・DFの適性も探る FW丸谷拓也”. 中国新聞 (2009年4月16日). 2014年1月11日閲覧。
  6. 若手パワー爆発だ ナビスコ杯、3日大分戦”. 中国新聞 (2009年6月3日). 2014年1月11日閲覧。
  7. 丸谷が大分へ期限付き移籍”. 中国新聞 (2012年8月14日). 2014年1月11日閲覧。
  8. 【トリニータ】広島の丸谷を期限付き獲得”. 大分合同新聞 (2012年8月14日). 2014年1月11日閲覧。
  9. 【トリニータ】木村が加入、丸谷は1年延長”. 大分合同新聞 (2012年12月28日). 2014年1月11日閲覧。
  10. 【トリニータ】丸谷会心ハット”. 大分合同新聞 (2013年5月23日). 2014年1月11日閲覧。
  11. 丸谷拓也選手 期限付き移籍より復帰のお知らせ”. J's GOAL (2014年1月7日). 2014年1月11日閲覧。
  12. 退路を断つ/丸谷拓也の完全移籍”. ガードかなさる (2017年12月26日). 2018年9月9日閲覧。
  13. 丸谷拓也選手 サンフレッチェ広島より完全移籍加入のお知らせ”. 大分トリニータ (2017年12月28日). 2017年12月26日閲覧。
  14. 終了間際に丸谷が劇的V弾!金沢撃破の大分が7戦無敗で首位浮上”. ゲキサカ. 講談社 (2018年9月8日). 2018年11月23日閲覧。
  15. 大分が4試合ぶり得点&勝利で上位踏みとどまる…降格圏熊本は厳しい戦い続く”. ゲキサカ. 講談社 (2018年4月22日). 2018年11月23日閲覧。
  16. 丸谷拓也 忠実、堅実なバランサーはチームに欠かせない(1ページ目)”. オー!エス!. 大分合同新聞テレビ大分 (2018年11月9日). 2018年11月23日閲覧。
  17. 丸谷拓也 忠実、堅実なバランサーはチームに欠かせない(2ページ目)”. オー!エス!. 大分合同新聞、テレビ大分 (2018年11月9日). 2018年11月23日閲覧。
  18. 丸谷拓也選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2019年11月26日https://www.oita-trinita.co.jp/news/20191155718/2019年11月26日閲覧
  19. 丸谷拓也氏 アカデミー普及部コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島F.C、2020年1月8日https://www.sanfrecce.co.jp/news/academy/24612020年1月9日閲覧

参考資料

関連項目

外部リンク

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