仁元王后
仁元王后 金氏(じんげんおうこう きんし/イヌォンワンフ キムシ 인원왕후 김씨 Queen Inwon 1687年11月3日-1757年5月13日)は李氏朝鮮第19代王・粛宗の3番目の王妃。本貫は慶州。
| 仁元王后 | |
|---|---|
| 朝鮮王妃 | |
| 別称号 | 恵順慈敬献烈光宣顕翼康聖貞徳寿昌永福隆化徽靖正運定懿章穆仁元王后(諡号) |
| 出生 |
康熙28年9月28日(1687年11月3日) |
| 死去 |
乾隆22年3月26日(1757年5月13日) |
| 配偶者 | 粛宗 |
| 子女 | なし |
| 氏族 | 慶州金氏 |
| 父親 | 慶恩府院君 金柱臣 |
| 母親 | 嘉林府夫人 |
| 仁元王后 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 인원왕후 |
| 漢字: | 仁元王后 |
| 発音: | イヌォンワンフ |
| 日本語読み: | じんげんおうこう |
| ローマ字: | Queen Inwon |
生涯
仁元王后は慶恩府院君・金柱臣(キム・ジュシン)と嘉林府夫人趙氏の娘として生まれ、1701年、2番目の王妃・仁顕王后が崩御、禧嬪張氏が刑死し、粛宗によって側室から正室への昇格が禁止され、新たな王妃として揀択された。当時、朝廷は西人派から老論派、少論派に別れ激しい対立を繰り広げ、彼女の家門は少論派に属していたが生き残りのため老論派に転向した[1]。
粛宗との間に子を儲けることがかなわなかったが後宮の淑嬪崔氏の子・延礽君(後の英祖)を自分の子として育て、1720年、粛宗崩御後、少論派から狙われていた彼を守った。1721年、世継ぎのいなかった景宗(粛宗の長男、英祖の異母兄)[2]は延礽君を王世弟に冊封し仁元王后は王世弟の後見人となった。
1724年、景宗が崩御され、王世弟は第21代王・英祖として即位し後見人として見守った仁元王后は1757年、70歳で崩御した。[3]。
出典
- 『王妃たちの朝鮮王朝』尹 貞蘭 著、金 容権 訳 日本評論社 2010年
脚注
- 『王妃たちの朝鮮王朝』P.300
- 『王妃たちの朝鮮王朝』P.308
- 『王妃たちの朝鮮王朝』P.315
登場作品
映画
- 王の運命 -歴史を変えた八日間- (2015年)演:キム・ヘスク
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