仲田秀司

仲田 秀司(なかだ ひでし、1966年2月5日 - )は、沖縄県国頭郡金武町出身の元プロ野球選手捕手)。

仲田 秀司
てるクリニック野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 沖縄県国頭郡金武町
生年月日 (1966-02-05) 1966年2月5日(58歳)
身長
体重
179 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1983年 ドラフト5位
初出場 1985年4月9日
最終出場 1991年10月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 埼玉西武ライオンズ (2010 - 2012)
  • てるクリニック

息子は俳優の百名ヒロキ

来歴

プロ入り前

興南高等学校セレクションに投手として受験したが、比屋根吉信監督の意向で捕手として合格した。興南では、2年次から後に阪神タイガースなどで活躍する同期の仲田幸司とバッテリーを組んだ[1]。在学中に甲子園に3度出場。1982年夏の選手権では、3回戦でこの大会準優勝の広島商業高に逆転負け[2]。翌1983年春の選抜では、1回戦で光山英和らのいた上宮高に延長10回サヨナラ負け[3]。同年夏の選手権は2回戦でまたもや広島商業高に敗退[2]

日本大学への進学が有力視されていたが、1983年のプロ野球ドラフト会議西武ライオンズから5位指名を受け入団。

西武時代

伊東勤に次ぐ2番手捕手として2年目の1985年から一軍に帯同し、同年は7試合に先発出場を果たす。しかし打撃面で伸びず伊東の壁は破れなかった。1989年には伊東の欠場で開幕から8試合に先発マスクを被る。同年は40試合の出場の内17試合に先発出場した。しかし1990年には大宮龍男の移籍入団もあって出場機会が減少、1995年限りで現役を引退した。

引退後

チームスタッフに就任。2010年3月2日に、悪性腫瘍の摘出手術を受け療養中の相馬勝也捕手コーチの代役として、捕手コーチ補佐(2011年からはバッテリーコーチ補佐)に昇格した。2013年は球団本部長付スタッフに就任したが、2014年からは打撃投手として現場に復帰した。

2020年3月より、沖縄県の社会人硬式野球クラブチーム・てるクリニックの監督に就任[4]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1985 西武 17302854100510010100130.143.172.179.351
1986 3531000000001010020.000.250.000.250
1987 23292722000211110001100.074.107.074.181
1988 20881000000000000020.000.000.000.000
1989 406347280008101100501170.170.264.170.434
1990 8991100010100000030.111.111.111.222
1991 4550000000000000010.000.000.000.000
通算:7年 115149127121510016322130702480.118.176.126.302

年度別守備成績



捕手










1985 西武 1712102.167
1986 3220.000
1987 15550.000
1988 19431.250
1989 4023167.304
1990 8312.667
1991 4330.000
通算 106524012.231

記録

背番号

  • 37 (1984年 - 1995年)
  • 93 (1996年 - 2012年)
  • 06 (2014年)
  • 30 (2020年 - )

脚注

  1. 【仲田幸司コラム】西武に捕手で入団した仲田秀司を差し置いて投手の特待生に! | 東スポWEB
  2. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  4. 野球部 | 整形外科てるクリニック

関連項目

外部リンク

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