公劉
生涯
不窋(ふちゅつ)[1]の末年より、夏后氏[2]のもとを離れて戎・狄[3]の間に住むようになった后稷の一族は、その孫の公劉の代になり、ふたたび后稷の業を修めて農耕に務めるようになった。また、公劉は各地を巡って漆水・沮水から渭水を渡って材木を調達し、用にあてた。このため民は富んで、行く者は資材を持ち、居る者には貯蓄がありと、百姓は彼の徳になついて他国から移ってくる者も多かった。
周朝が始まったのもまさにこの時とされ、詩人が公劉の徳を思い、歌い楽しんだ[4]のもそのためだという。
参考資料
- 『史記』(周本紀第四)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.