北条氏親

北条 氏親(ほうじょう うじちか)は、戦国時代後北条氏の人物。父は後北条家3代当主・北条氏康で、母は今川氏親の娘・瑞渓院[2]。4代当主・氏政の兄にあたる。幼名は西堂丸(せいどうまる)[3]通称新九郎(しんくろう)。が氏親であることは、「大宅高橋家過去帳」の記載から2010年代に判明した[4][注釈 1]

 
凡例
北条氏親 / 新九郎
時代 戦国時代
生誕 天文6年(1537年[1]
死没 天文21年3月21日1552年4月14日
改名 西堂丸(幼名)→氏親
別名 新九郎(通称
戒名 天用寺殿雄岳宗栄大禅定門
氏族 後北条氏桓武平氏
父母 父:北条氏康、母:瑞渓院今川氏親の娘)
兄弟 氏親氏政七曲殿氏照尾崎殿氏規、長林院殿、蔵春院殿氏邦上杉景虎浄光院殿桂林院殿

生涯

天文6年(1537年)、北条家の第3代当主・北条氏康の長男[5]として生まれる。天文18年(1549年)10月7日、弟の氏政とともに飛鳥井雅綱から蹴鞠伝授書を与えられた[6]。天文20年(1551年)の末頃に元服したとみられ、諱を「氏親」と名乗り、また北条家の嫡男として歴代当主の仮名である「新九郎」を名乗る。黒田基樹は「氏親」の名乗りは外祖父である今川氏親と同じであり、生母である瑞渓院による実父に対する敬慕と共に、河東一乱を起こして自分を苦境に追い込んだ弟の今川義元への対抗意識によるものと推測している[7][8]

また、『喜連川文書』に足利義氏関連文書として所収されている北条家一門による和歌短冊集の中に「氏親」という人名が登場しており、新九郎氏親のことと思われる[8]

元服後に武田晴信(信玄)の娘(後の黄梅院)を妻に迎える構想があった[9]。しかし天文21年(1552年)3月21日に16歳で死去した[5]。このため氏康は、氏親の同母弟である次男の氏政を嫡子とした[3]

脚注

注釈

  1. 天用院殿雄岳宗栄大禅定門 天文廿一辛亥年参月廿一日 小田原滅、十六也、 俗名新九郎氏親云、 大宅高橋家過去帳

出典

  1. 黒田 2015, p. 14.
  2. 黒田 2012, p. 29.
  3. 黒田 2012, p. 135.
  4. 黒田 2015, p. 13.
  5. 黒田 2012, p. 130.
  6. 黒田 2015, p. 39.
  7. 黒田 2017, p. 78-79・156-157.
  8. 黒田 2018, p. 62-63.
  9. 黒田 2017, p. 157.

参考文献

書籍
  • 黒田基樹『戦国北条氏五代』戎光祥出版、2012年。
  • 黒田基樹『北条氏康の子供たち』宮帯出版社、2015年。
  • 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年。
  • 黒田基樹『戦国北条家一族事典』戎光祥出版、2018年。
史料
  • 『北条家過去帳』
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.