北野勝則

北野 勝則(きたの かつのり、1967年10月10日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手投手)。

北野 勝則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県鈴鹿市岡田町[1]
生年月日 (1967-10-10) 1967年10月10日(56歳)
身長
体重
187 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト4位
初出場 1988年9月11日
最終出場 1997年9月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

小学6年の時に野球を始める[1]三重・海星高3年時の1985年に、エースとして第67回全国高等学校野球選手権大会に出場。3回戦で東海大甲府高に敗れた[2]ものの、オーバースローによる本格派のサウスポーとして、NPB球団のスカウトから注目された。

1985年のプロ野球ドラフト会議で、横浜大洋ホエールズからの4位指名を受けて入団[1]。背番号は48で、身長が187cmだったことから、「ジャンボ」というニックネームが付けられた。

プロ2年目の1987年には、MLBテキサス・レンジャーズ傘下(当時)のルーキー級ビュート・カッパーキングスに野球留学[1]。一軍公式戦では、1988年中継ぎで5試合に登板したものの、あまり活躍の機会はなかった。

1990年に、片岡光宏との交換トレードで、地元球団の中日ドラゴンズに移籍[1]。投球フォームをサイドスローに変えてからは、左打者に対するワンポイントリリーフ要員として重用された。1993年には、ウエスタン・リーグで最高勝率のタイトルを獲得。1994年に一軍公式戦でチーム最多の44試合に登板すると、3年間にわたって中継ぎ投手として一軍で活躍した。なお、移籍後は一貫して背番号61を着用。1994年のシーズン終了後に、当時神山一義が着用していた背番号44への変更を打診されたが、「(仲の良かった)神山の背番号を取るのは気が引ける」という理由で固辞している[3]。一軍公式戦への登板機会がなかった1998年限りでに現役を引退[1]

引退後は、翌1999年から中日球団に勤務。二軍マネジャー、営業企画部MD(球団グッズの販売担当)[4]、同部の課長補佐を歴任している[3]

エピソード

  • 元々は右利きだったが、訓練で左投げになる。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1988 大洋 50000000------359.072300700444.001.11
1989 10000000------142.0502002005522.503.50
1990 中日 60000000------326.2211101310445.401.95
1992 30000000------214.150202200224.151.62
1993 50000000------123.020100100000.001.00
1994 440000222--.50018947.13311823251013122.281.08
1995 260000100--1.0009822.02141331100016145.731.55
1996 540000100--1.00014334.1292162019101392.361.31
1997 340000010--.0009320.225591170011104.351.65
通算:9年 1780000432--.571637149.1129157588763068603.621.37

記録

背番号

  • 48 (1986年 - 1989年)
  • 61 (1990年 - 1998年)

脚注

  1. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、184ページ
  2. 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. 日刊スポーツ根尾特需逃さず売上1億、敏腕営業マンは元中日投手」2019年2月25日付
  4. サンケイスポーツ竜のグッズが熱い…ビシエドタオルにはスペイン語で「衝撃的な戦車」の文字」2016年5月1日付

関連項目

外部リンク

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