千古園
歴史
もともとこの丘は先住民アイヌの営みの場所であったらしく、遺物が発見されている[2]。
1891年(明治24年)、北越殖民社の創立者のひとりである関矢孫左衛門が、丘の上に住居を構える[2]。野幌部落の人々からは「別荘」と呼ばれた[2]。
1899年(明治32年)、「道庵」と名づけられた庵が建てられる[2]。
1912年(大正元年)、「留魂碑」が建立される[2]。このとき村人たちが協力を惜しまなかったことから、関矢は非常に喜んで「千古空留一片石」と口ずさみつつ庭園を散策したという[3]。「千古園」という名称は、ここから来ている[3]。
関矢の没後となる1918年(大正7年)、北越殖民社の山口理事の発意により、村人たちの協力を得て屋敷全体の手入れが行われ、公園として改修された[2]。
参考文献
- 関矢マリ子『野幌部落史』国書刊行会、1974年4月25日。
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