南洞邦夫
略歴
早稲田高等学院1年在学時の1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックで500m22位、5000m31位となった。
1956年コルチナ・ダンペッツオおよび1960年スコーバレーオリンピックの日本選手団スケートチーム監督、1994年リレハンメルオリンピックの日本選手団団長、日本スケート連盟理事長、日本カーリング協会会長などを歴任した。
2000年にオリンピック・オーダー受章[2]。
2011年8月12日、肺炎のため東京都品川区の病院で死去。94歳没[1]。
外部リンク
- Speed skating 1936 (ポーランド語)
- 南洞邦夫 - Olympedia(英語)
- 冬季オリンピックメモリーズ
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.
