吾策新道
概要
戦前、谷川岳を含む上越連峰の登山コースは、エスケープルートらしき登山路が無く、荒天時には遭難が相次いでいた。このことから土樽から万太郎山まで登山道を作るべく測量が行われていたが、戦争のため工事着工まで進展しなかった。戦後になると国鉄土樽山の家の管理人、高波吾策は、登山路を建設すべく各所を訪ね歩いたがどこも腰が重く、自ら7万円を銀行から借り入れして1953年5月から1カ月かかりで登山道を建設した。しかしながら借入金返済のあてはなく、同年、知人の製薬会社重役から祝い金として工面することとなった[1]。
脚注
- 「尾根を縫って七キロ」『日本経済新聞』昭和28年6月22日 5面
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