呼徴
生涯
光和2年(179年)、使匈奴中郎将の張脩は単于呼徴と仲が悪く、張脩は独断で単于呼徴を斬り、代わって右賢王[1]の羌渠を単于に立てた。張脩は事前に朝廷の承認を得ずに単于を誅殺したので、檻車で廷尉に護送され死罪に処せられたが、羌渠の即位は認められた。
脚注
- 右賢王(うけんおう)は匈奴における単于位継承第三位。
参考資料
- 『後漢書』(南匈奴列伝)
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