四方博
四方 博(しかた ひろし、1900年1月2日[1][2] - 1973年5月13日[1][2])は、日本の経済学者。専門は朝鮮社会経済史。
| 生誕 |
1900年1月2日 |
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| 死没 | 1973年5月13日(73歳没) |
| 国籍 |
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| 研究機関 |
京城帝国大学 愛知大学 名古屋大学 岐阜大学 愛知県立大学 |
| 研究分野 | 経済史 |
| 母校 | 東京帝国大学 |
| 他の指導学生 | 大江志乃夫 |
| 受賞 | 旭日重光章 |
生涯
研究内容
経済史研究
評価
- 戦後の日本社会からは朝鮮植民地支配に消極的な「良心的な教授」であり、朝鮮社会経済史研究で著しい業績を残したと評価されている[6]。
- 現代の韓国の研究者からは、アジアと朝鮮が日本の国力により停滞の悪循環から脱却できるという朝鮮の植民史観の強調やそこから脱却して近代化するために日本の役割を強調することで、日本の侵略を正当化したと指弾されている[6]。論文「朝鮮における近代資本主義の成立過程」『朝鮮社会経済史研究』(1933年)や論文「旧来の朝鮮社会の歴史的性格について」『朝鮮学報』(1・2・3集、1946年、1947年)などで朝鮮社会は歴史的な発展のみられない停滞社会であり、朝鮮が近代化するためには日本の資本が必要だとして資本主義の過程を2つに分類する。1つはヨーロッパにみられる自国の国力によって資本主義が成立するものであり、もう1つは朝鮮のように外国の資本によって資本主義が展開することである[6]。四方によると、「朝鮮の資本主義化は外国の資本と、外国人の技術能力によって純粋に他律的に成立したものであり、その理由は開港当時の朝鮮内には自生的な資本の蓄積も、企業的な精神もなく、資本主義の形成を希望する事情とそれを実現させる条件を皆欠いていたからだ」として[6]、結果的に、朝鮮の近代化のための日本の役割が強調され、日本は朝鮮に近代的な産業、インフラストラクチャー、学校、鉄道などを敷設して朝鮮の近代化を助けたことになり侵略と収奪が隠蔽されたとする[6]。
家族・親族
著作
著書
- 『李朝時代の都市と農村とに關する一試論:大丘戸籍の觀察を基礎として』
- 『市場を通じて見たる朝鮮の経済』
- 『李朝人口に関する一研究』
- 『朝鮮に於ける近代資本主義の成立過程:その基礎的考察』刀江書院, 1933年
- 『李朝人口に関する身分階級別的観察』1938年
- 『朝鮮経済の史的発展』(講演),東亜経済懇談会朝鮮委員会,1944年
- 『朝鮮・中国の民族運動と国際環境』(アジア・アフリカ国際関係史叢書),巌南堂書店,1967年
- 『朝鮮社会経済史研究』国書刊行会,1976年
脚注・出典
- 四方博朝鮮文庫目録(東京経済大学図書館、2010年6月)
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、525頁。
- 後述する法学部設立準備のための研究留学。
- 京城帝国大学は朝鮮総督府所管の帝国大学として1924年に予科が設立され、1926年に法文学部と医学部、1941年に理工学部が設置。
- ソウル大学「経済文庫」の基礎はこの経済研究所資料である。
- 李 2005, p. 251
- "四方れい". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2023年12月3日閲覧。
- “四方れい 日本美術年鑑所載物故者記事”. 東京文化財研究所. 2023年12月3日閲覧。
- “高畑監督が撮るはずだった“幻の映画”の原作『国境』とは”. LITERA (2018年4月13日). 2023年12月3日閲覧。 “著者のしかた氏…父は京城帝国大学の教授、母は洋画家で、当時ではリベラルな空気の中で育ったという。”
参考文献
- 四方博朝鮮文庫目録(東京経済大学図書館、2010年6月)
- 李萬烈 (2005年6月). “近現代韓日関係研究史―日本人の韓国史研究を中心に―” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究). オリジナルの2015年9月8日時点におけるアーカイブ。
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