土崎神明社祭の曳山行事

土崎神明社祭の曳山行事(つちざきしんめいしゃさいのひきやまぎょうじ)は、秋田県秋田市土崎港地区に所在する土崎神明社の例祭で、18世紀から続いている祭典行事[1] 。国の重要無形民俗文化財に指定されている[2]。毎年7月20日の宵宮(よいみや)と21日の本祭りの2日間に渡って行われる。土崎神明社例祭の俗な呼称としては、「みなと祭り[注 1]」、「土崎港曳山まつり[3]」などがある。なお、土崎地区以外の秋田市民であれば、単に「土崎の祭り」という呼び方をすることが多いほか、秋田市北部の高校生などは「ザキ祭り」などとも呼ぶ。

秋田県ではこの祭りが終わると学校が夏休みに突入すること、気温が朝夕も一部の冷夏年以外は高温になるころ[注 2]などや勇壮さもあり、北国の短い夏の始まりを象徴する祭りである。

概説

曳山

(曳山の構造と外観については後述。)

「曳山」の本来の読みは「ひきやま」であるが、土崎では単に「やま」と読む[注 3]。ただし、「曳山行事」・「曳山祭り」は、「やまぎょうじ」・「やままつり」とは読まず、「ひきやまぎょうじ」・「ひきやままつり」と読む。あるいは、「山車」(標準語では「だし」と読む)と書いて「やま」と呼ぶこともある。

曳山は土崎神明社の氏子の町内として奉賛会(ほうさんかい)に加盟する各町内ごとに組立てられ奉納される[注 4]。平成期に入ってからは毎年20台前後の数が奉納されており、かつてより大幅に増えている(各年の奉納曳山の項を参照)。

曳山行事の前後に行われる神事

7月20日、土崎神明社参拝のため曳山が鳥居をくぐって境内に入る(郷社参り)

土崎神明社の例祭は7月1日の 清祓いの儀式 に始まる一連の行事で、曳山行事はその終盤の例祭に当たる。7月22日の昇神祭にて一連の神事の儀式を終える。

各町内では「会所」(かいしょ)が設けられ[注 5]、15日の統前町(とうまえちょう、後述)の大会所開き(だいかいしょびらき)を皮切りに、各町内の会所開き(かいしょびらき)の神事が行われる。その神事では曳山に神様の降臨を招き、厄除けを祈願する。

この時期は土崎地区の商業以外の企業が臨時休業になることが多い。学校も海の日が7月20日固定時代もしくは20日が土日(日曜日の年はハッピーマンデー配列で21日が休みになる)だった年以外は休校になったり、午前終了の措置が取られる。[注 6]

7月20日の進行

曳山行事の1日目である20日は宵宮(よいみや)と呼ばれる。この日は、まずは自分の町内を練り歩くことが必須とされ、これによって町内の災いを祓うものとされている。また、当日中には曳山が土崎神明社に立ち寄って参拝を行い、町内によっては演芸(踊り)も奉納する。

さらに、平成時代の2006年に土崎駅前の道路拡張工事に伴い、神明社の祭館・本殿の建て直しが行われた。神社改修工事の結果鳥居のかさ上げもしたため、曳山が鳥居をくぐって境内に乗り入れることが可能となった。この曳山の境内参拝の運行は郷社参り(ごうしゃまいり)と名づけられた。郷社参りは、昼食休憩の時間帯に合わせて行う町内が比較的多いため、その時間であれば土崎駅から出てすぐに複数台の曳山を目にすることができる。

宵宮と21日午前の曳子(ひきこ)には子どもが多く、また、演奏される囃子はテンポの速い「寄せ太鼓」(後述)である。曳山は行程の所々で停止して、子供の輪踊りや舞方の演舞などの演芸(後述)が行われる。

7月20日の夕方以降

20日の夕方以降に本町通り(後述)の夜店に出かけるのは、子供や若者にとって楽しみの一つである。

近年では、観光客が曳山を曳く体験ができる催しも行われることが多い。これは平成の初期、暴対法の施行により祭りから夜店がなくなったことを受け、町中心部に位置する旭町二区町内会が夜店がなくても夜の人出、にぎわいを維持しよう夕方からの運行を始めたのが起源。現在は「ふれあい曳山」として港振興会などが主催しており、協賛する町内が一旦会所に収まった曳山を観光客向けに運行するものである。主に五十嵐記念病院付近の本町通り、中央通りで行われ、参加無料。

7月21日朝から夕方までの進行

7月21日昼、御神輿の巡行
(土崎の北端・相染町にて撮影)
御幸曳山
(21日午後、五十嵐記念病院前交差点にて撮影)
曳子の若者達が綱を道路の端から端まで荒々しく振りながら曳いている。

21日は例祭と呼ばれる。

午前中、すべての曳山は、土崎の南端である穀保町(こくぼちょう)の御旅所に向かい、昼前までに集結する。曳子達は、午後の部に備えて腹ごしらえをする。

ここで土崎中の厄をお祓いした御神輿、御神体を迎える。天照大神を祀る土崎神明社の御神輿の先導は面を付けた猿田彦が務める。午後には御神輿が土崎北端の相染町(あいそめまち、そうぜんちょう)の御旅所に向かう。統前町から選ばれた、裃に身を包んだ名士達が乗ったハイヤーも、列を成して追随する。

昼12:30頃に上がる‘のろし’[注 7] を合図に、第1号車である相染町の曳山から順に本町通りを真っ直ぐ北に進んで、相染町へ向かう。これを御幸曳山(みゆきやま)あるいは送り曳山[4](おくりやま)と呼ぶ[注 8]。

御幸曳山のとき、曳山の向きは、武者人形がある方が前(進行方向)、囃子がいる方が後ろである。

演奏される囃子は、主に「湊ばやし」(みなとばやし)である(後述)。

多くの町内では、曳子は中学生以上である。曳き方は綱を進行方向に真っ直ぐ曳くだけでなく、横方向にも綱を振るなどする。時折、曳山を停止させたまま、綱をただ横に振るだけという遊びさえも見られる。

御幸曳山では、宵宮よりも頻繁に曳山を止めて演芸を行う[注 9]。

相染町の御旅所で神事が執り行われ、神事的意味合いの曳山は終わる。

曳山が相染町に到着すると、曳子達は、夜のクライマックスに向けて腹ごしらえをし、アルコールも入れる。

7月21日夜(戻り曳山)

7月21日夜、戻り曳山が土崎の北端(相染町)から各町内へ向けて出発する直前の様子。
赤い角灯篭が灯された曳山が列になっている。

夜8時の‘のろし’を合図に、号車番号が大きい曳山から順次、自分の町内への帰途に就く。それが戻り曳山(もどりやま)と呼ばれる、この曳山行事の一番の見ものである。戻り曳山のときは、やぐら(お囃子所)前(進行方向)、武者人形がある方が後ろである。前方の角灯篭が点灯され、その赤い色が夜の闇の中に幻想的に浮かび上がる。後方の武者人形は、提灯の明かりで照らされる。

戻り曳山(7月21日夜)

戻り曳山のときに演奏される囃子は、「あいや節」(後述)である。

曳き方は御幸曳山のときにも増して激しく、曳子達が出す掛け声も荒々しい[注 10]。また、時折、相当のスピードで曳山が走ることもある。戻り曳山では、曳子が体のどこにもあざを作らずに済ますことは不可能と言われる。各曳山には10人程度の警護役が付いているが、それでも、曳子だけでなく見物客も、怪我や事故のないように自ら十分な注意を払わなければならない。死亡事故は非常に珍しいものの、1988年(昭和63年)、祭り見物をしていた地元の中学生が、曳山と電柱の間にはさまれて死亡している[5]。

時々曳山を止めて、曳き子らが自ら「土崎盆踊り」(後述)を踊る。

なお、20日・21日の両日は秋田市土崎地区で交通規制が敷かれているが、深夜12時には規制が解除されるので、その時刻までには曳山を通りから退去させなければならない。しかしながら、交通規制区域を抜けると各町内によって進路や距離の違いもあり、最終的に町内に曳山が到着するのは明け方という町内もある。なお、戻り曳山において交通規制区域外を運行する曳山には警察官(パトカー)が同行する場合がある。

曳山行事の後

祭りが終わった翌日の22日、曳山は早々に解体される。曳山を作り、曳き、解体するという一連の流れが曳山であり、解体は大切な作業とされている[6]。

各町内での神事としては、会所開きに始まって曳山に飾られた札と会所の祭壇に置かれた御幣と御札を委員長や役員の自宅に納める札納めで一連の神事を終える。

7月終わりから8月初めに行われる「笠納め」(かさおさめ)と呼ばれる祭りの反省会(打ち上げ)を締めとする町内も多い。

曳山の構造・外観

やぐらを横から見た図
「見返し」の人形

台車はケヤキ等の材料で枠組みされ、外枠の横に町名が掘り込まれていて、化粧板、または前後に雲状の模様が施されていることから「雲板」と呼ばれている。 木製の車軸に組木された木製の車輪。回転を補助するために軽油にサラダ油やひまし油、天ぷら油等を混ぜたものを注ぐ。その結果、独特の軋む音と匂いを発する。これも曳山の特徴の一つである。

曳山は武者人形の乗る合戦場面の人形側と岩の後ろに組んだやぐら側のどちらにも曳く為の綱を出せるようにしてあるが、神明社に参拝に向かうときには人形側を前にするという決まりがあり、神明社に向かう方を優先するという決め事から人形側を前方としている。

台車の中央部後ろよりに黒木綿で木組みを覆った男岩と女岩を配し、その中央からは滝を流す。そのために場面の前方には波しぶきを配することが多い。人形が乗るステージを「ザル」と呼び、そこには人形や飾り付けのほかに下記の縦長の札が取り付けられる。

  • 外題札(げだいふだ) … 合戦の場面の題名(外題)が書かれている。 <例>「野望打ち砕く忠臣の誉れ」
  • 人形札 … 人形の人物名を表す。一体につき一枚。 <例>「羽柴秀吉」、「明智光秀」
  • 町名札 <例>「旭町一区」
  • 号車札 … 御幸曳山のときに先頭となる相染町の曳山から順に数えた連番が書かれている。 <例>「第壱號」
号車札では四や九が付く番号は除外されるので、たとえば曳山の台数が20台であれば、最後尾の曳山は25号車(第弐拾五號)である。

また、町内によっては合戦の場面を解説する文章が書かれた、縦長ではない解説札を乗せるところもある。

人形は勇壮な武者人形で通常曳山1台につき2 - 3体が設置され、港衆の魂の表れとして合戦の場面や歴史的な場面を表現する[注 11]。裸人形(半裸あるいは上半身裸の武者人形)、鎧を着た武者人形(騎乗の場合あり)が多く、また、化け物(大蛇など)や獣(虎など)の人形も用いられる場合がある。その中でも、裸人形は人形師のメンテナンスが大変なため、高級とされる。

古くは組み立てには全て縄を使用していたので、かけ師と呼ばれる組み立て専門職人もいたが、昨今の事情で釘やネジ、番線、結束具も使用するようになり自町内で組立てるようになった。ザルの周りには山ツゲを配し、ツゲを刺す部分と岩の中には柳を使用し、ゴツゴツ感を出す。そのツゲと柳も独特の匂いを発する。岩の中央には杉の枝、両側には松の枝という配置をすることが多い[注 12]。

曳山の後部(つまり岩の裏)には箱型のやぐら(お囃子所)が組まれ、そこに太鼓が設置される。やぐらを囲むように赤を基調とした角灯篭が設置され、そのワクの中に囃子の奏者達が乗る。

やぐらの上には、時事を風刺する七五調の文が書かれた見返し札が乗り、隣に風刺人形として、おとぼけ人形を乗せる。なお、祭りに先立って、見返しの文を競う「見返しコンクール」が行われ、最優秀1町内、優秀2町内には、受賞したことを表す札が与えられる。その札をもらった町内は、見返し札の横に設置する。

曳山の高さは、現在では電線やケーブルに掛からないよう、4.7m以内という規定を設けているが、通常は岩の高さ5mを基準に組み立てられ、町内によって通過する場所が違うのでできるだけ高くするために岩組みの頂上を可動式にしてる町内もある。 巾も岩組みの最大巾で3m以内から4m近いところもあるが、細い小路を通るかどうかで町内によって大きさは様々である。

囃子

楽器

太鼓
横笛
三味線
摺鉦
小鼓

楽器の構成は、以下の通りである[7][8]。

  • 太鼓(大太鼓1・小太鼓3)
  • 篠笛
  • 三味線※土崎は、津軽三味線ではありません
  • 摺鉦
  • 小鼓

奏者は各1名である(「寄せ太鼓」演奏時のみ太鼓は2名)。


大概の奏者は太鼓・笛・摺鉦の3つを演奏でき、やぐらの中では奏者のローテーションが行われる。交替は囃子を止めずに行われ、それは太鼓も例外ではない。

曲目

曳山行事で演奏される囃子は「港ばやし」と呼ばれ、その曲目は、次の5曲である。

曲目名よみ演奏される時特徴テンポ備考
寄せ太鼓よせだいこ20日午前 - 21日午前
御神輿の送迎[8](21日昼)
(戻り曳山の自町内到着時も)
スイングした速いリズム。140超「人を集める」とされる[7]。
俗に「寄せばやし」とも[8]。
湊ばやしみなとばやし御幸曳山(21日昼 - 夕)スローテンポ。69 - 76[9]別名「本ばやし」[8]
湊剣ばやしみなとけんばやし御幸曳山(21日昼 - 夕)リズミカル[9]。一部の曳山でのみ演奏。
加相ばやしかそうばやし御幸曳山(21日昼 - 夕)スローテンポ。69- 76一部の曳山でのみ演奏。
あいや節あいやぶし戻り曳山(21日夜)哀調がある[7]。120 - 132[7]

笛が奏でる旋律は嬰ヘ短調である[9]。

ここで、表記として、

  • 「湊ばやし」は、5つの曲から構成される「港ばやし」の中の1曲
  • 曲名に「囃子」という漢字を使わずに、ひらがなで「 - ばやし」と書く

であることに注意されたい。

港ばやしは、「花輪ばやし」、角館のお祭りの「飾山囃子(おやまばやし)」とともに「秋田県三大囃子」の一つとして数えられる[8]。

寄せ太鼓と佐竹氏

佐竹氏が秋田に移る前に治めていた茨城県常陸太田市の「天神囃子」には、寄せ太鼓と似ている部分がある[8] ため、佐竹氏とともに秋田へ移り住んだ人達の芸能文化が秋田の芸能と結びついて、港ばやしが生まれたとの説がある[7]。

また、寄せ太鼓のリズム・笛の旋律は、同じ秋田市の祭りである竿燈祭りと同一であるが、竿燈の太鼓は大太鼓だけである。

曲目の変遷

加相ばやしは、1889年、相染新田村(相染町)が土崎に加わった(つまり「加相」)したときに作られた囃子である[7]。曲の前半が相染にあった囃子、後半が湊ばやしという構成になっている[7]。

湊剣ばやしと加相ばやしは一時廃れたが、1956年に復元・復活された[7][8]。

昔は「丹前ばやし」や「浴衣ばやし」という曲もあったが、明治後期か大正の頃から演奏されなくなった[7]。

港ばやしの伝承・保存

港ばやしは、戦前は家元制度・世襲で受け継がれたが[7]、戦後は、 市・県の文化団体連盟に所属する 土崎港ばやし保存港和会(1947年結成) 土崎港ばやし保存会(1980年結成)に所属する 娯笑会(1955年結成)・しぶき会(1956年結成)・若波会(1974年結成)[7]、[10] それと旭町ニ区から誕生した旭鳳会(1992年結成)によって伝承されている。西洋音楽と同様の五線譜での採譜も試みられている[11]。音源としては、音楽CDとして1997年に発売され、2023年現在も販売されている(港和会演奏)[12]。

7月になるとイオン土崎店の店内放送や秋田中央高校の校内放送で港ばやしが放送される。

演芸

演芸を披露する女性達

曳山は行程途中の各所で停まり、踊りが披露される。子供の輪踊りもある。これらの踊りのことを演芸と称する[注 13][注 14]。曲目は、民謡、演歌、流行りの歌等々であり、テープやCDを用いる場合が多い。

中でも「秋田音頭」は、全町内で採用されている[13] スタンダードナンバーである。テープやCDを用いずに囃子方と歌い手で生演奏する町内もある。振り付けは全町内とも似ているが、町内ごとに工夫している部分もある。その発祥は、一説には、若い武士が柔術の型を踊りにしたものに、さらに上方の旅役者が歌舞伎の六方の表現を加えたものとされる[13]。亀ちゃ(仁井田亀松、1856年 - 1916年)が名人として知られ、その弟でやはり名人の福ちゃ(仁井田福松)が1915年(大正4年)から土崎港に広めたとされる[13]。古くは「男踊り」と呼ばれ、女性が男性の服装をして踊ることが多かったという[13]。

戻り曳山のときは、簡単な振り付けの土崎盆踊りが踊られ、酒が入った曳き子が自ら参加することが多い。どの町内でも囃子方が生演奏する。その太鼓は、「どんどこどっけ、どんどこどっけ、どんどこどっけ、どん」というノリの良いリズムである。4拍子の楽譜に書けば、たった3小節単位のリズムを何度も繰り返すシンプルなパターンであり、踊りも同じ繰り返しである(笛の旋律は3小節の繰り返しではなく、いくつかバリエーションがある)。

歴史

土崎神明社の拝殿

土崎の歴史は、土崎港の歴史を参照。

1602年(慶長7年)、佐竹氏が湊城入部[14]。その2年後、久保田城に移転[14]。この際、武士官僚・寺社、住民等も土崎から久保田城下へ移転し、土崎の人口はいったん減少し、経済活動をする町人が残る[14]。

北前船などの西廻り航路の開拓で、貿易港として復興したことをきっかけに、港の鎮守神を作ろうと、当時、久保田藩の御用商人として土崎の地に来ていた川口惣治郎の川口家の氏神の神明堂を湊城跡地に土崎神明社として1620年(元和6年)に建造した[15]。

1625年(寛永2年)、湊に下ってくる船乗り達が神輿を寄進し、この年の祭礼で神輿神幸[14]。

1704年(宝永元年)、往来の船乗りが神輿を寄進[14][16]。

1705年(宝永2年)、大祭典と神輿神幸をもって旧暦の毎年6月20日・21日を例祭とする。これが祭りの始まりと考えられている[14][15][16]。

1789年(寛政元年)に久保田藩の江戸藩邸御用商人であった津村淙庵が執筆したとされる『雪のふる道』には、40もの山車が曳かれている様子が書かれている(曳山行事の最古の記録)[16]。

1856年(安政3年)の記録では、曳山・置山(おきやま)・擔山(かつぎやま)・子供擔山などがあり、饅頭・菓子等がふるまわれたとある[14]。

明治期に入る前後には町内ごとに曳山の高さを競うようになり、7 - 8丈、あるいは13 -14丈の曳山が登場した[14]。曳山が倒れないように、横の小路から綱を張って支えた。この頃、曳き子は1町内に200名以上もいた[14]。1878年(明治11年)のイギリス人イザベラ・バードによる記録には「50フィート近く」とある[14]。しかし、電気の普及に伴い、電線が電柱同士を伝うように張られてからは、曳山の高さは下げざるを得なくなった。現在は、先述のとおり通常5m程度の高さに組み立てられている。

明治時代に入り、例祭日は新暦の7月20日・21日となる[14]。

1878年(明治11年)、イギリス人、イザベラ・バードが偶然旅行中に曳山を見て、現在とは違う姿を外国人の目を通して描写している[17]。

1881年(明治14年)、土崎神明社が県社に昇格[14]。

1889年(明治22年)、隣村の相染新田村(現在の相染町)が合併[7]。

昭和初期の戻り曳山の様子について、杉田瑞子の芥川賞候補作品『北の港』に「酒で千鳥足になり、足許も覚束ない若衆たちが山車をぶつけ合って」とある[14](現在は曳山ぶつけは行われていない)。

土崎神明社鎮座四百年記念(2013年)で披露された「復元曳山」(※:7月15日撮影。祭り当日前であるため、雨除けのビニールが武者人形にかぶせられている。)

1946年(昭和21年)、この年から号車札が固定され、戻り曳山の追い越しが禁止される(喧嘩発生防止のため)[5]。

1947年(昭和22年)、のちに「土崎港ばやし保存会」を構成する保存会の一つとして初の「港和会」が結成される(港ばやし伝承の家元・世襲制からの移行)[7]。

1960年(昭和35年)、従来徒歩であった御神輿巡幸(宮司は乗馬)が、年番町をくまなく渡御するためトラック(随行者は乗用車)に変更[14]。

1972年(昭和47年)、この年から毎年、土崎経済同友会が「みなと祭りのしおり」(土崎地区全世帯配布の祭りガイド冊子、のちに「港曳山祭りのしおり」に改名)を発行。

1975年(昭和50年)、昭和50年を記念し、戦後最多の20台[18] の曳山が奉納される(平成期に、さらに最多台数が更新される)。

1980年(昭和55年)、4つの保存会により「土崎港ばやし保存会」が結成される[7]。

1991年(平成3年)、「暴対法」が成立。以降、従来200 - 300もあった露店が大きく減らされる[14]。

1993年(平成5年)、秋田市の無形民俗文化財に指定される[19]。

1994年(平成6年)、秋田県の無形民俗文化財に指定される。

1997年(平成9年)12月15日、日本の重要無形民俗文化財に指定される。

2006年(平成18年)、この年から、1日目(7月20日)に曳山を境内に入れての参拝である「郷社参り」が始まる(土崎駅前開発の道路拡張工事に伴い、土崎神明社の祭館と拝殿が改築。その際、鳥居がかさ上げされたため)。

2010年(平成22年)9月12日、全国山・鉾・屋台保存連合会総会(通称「曳山サミット」)土崎大会が開催され、10台の曳山奉納。その中、電線の撤去工事が完了した土崎神明社・土崎駅付近の道路で、高さ15mの「復元曳山」が披露される。

2013年(平成25年)、土崎神明社鎮座四百年記念。戦後最多タイとなる25台の曳山が奉納されることに加え、高さ10mの「復元曳山」が披露される。また、50年ぶりに神輿の徒歩巡行が行われる。

2020年(令和2年)4月20日、新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐため、土崎神明社奉賛会はこの年の行事中止を決定した[20]。

2021年(令和3年)、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、曳山行事は2年連続で中止となる。なお神事および神輿の巡幸は実施される。

2022年(令和4年)、新型コロナウイルス対策のガイドラインを策定した上で、曳山行事が3年ぶりに実施される。19町内が曳山を奉納する。

2023年(令和5年)、新型コロナウイルスが五類に移行し通常通りの開催。戦後最多となる26町内が曳山を奉納する。 過去最多の町内が奉納されるのは2013年以来10年ぶりとなる。


女性の参加

土崎の曳山行事は、日本の多くの祭礼行事と同様、長らく女人禁制であった[21]。明治時代に太政官布告により「女人禁制の禁止」が布告されたにもかかわらず、女性の参加が珍しくなくなったのは、それから100年程度経ってからである[21]。日本の古代の神祗信仰では女性禁忌はなく、むしろ巫女など女性は高い位置に置かれていたが、仏教観に起因して方向転換したといわれる[21]。

置山

曳山のように移動せず、鑑賞用に設置されるだけの山車があり、そのうち大型のものを置山(おきやま)、小型のものを飾山(かざりやま)と呼ぶ。毎年飾られるわけではない。置山の高さや幅は曳山よりもかなり大きく、武者人形の数も多い。

飾られた置山・飾山[16][22][23]
  • 1915年(大正4年) - 「最も長い置山」
  • 1929年(昭和4年) - 下酒田町
  • 1952年(昭和27年) - 置山・相染町の竈(かまど)神社 … 100尺
  • 1978年(昭和53年) - 置山・相染町の竈神社(統前相染町)
  • 1981年(昭和56年) - 飾山(統前永覚町) … 統前町として曳山は奉納しなかったが飾山は出した。
  • 1989年(平成元年)
- 置山・土崎駅前児童公園 … 市制施行100周年記念、高さ23m(土崎地区記念事業実行委員会)
- 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1990年(平成2年) - 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1991年(平成3年) - 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1992年(平成4年) - 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1993年(平成5年) - 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1994年(平成6年) - 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
  • 1995年(平成7年)
- 飾山・土崎神明社境内(土崎神明社青年会)
- 飾山・セリオン(タワー)(穀保町)
  • 1996年(平成8年) - 飾山(土崎港北商店会)

なお、イオン土崎港店(土崎ショッピングセンター)では、毎年祭りの時季になると幅10m程度の飾山を店舗入り口に設置してスピーカーから囃子の音を流し、お祭りムードを盛り上げるのに一役買っている。

用語

祭りの異名
  • カスベ祭り … この祭りの異名。港町で保存食の乏しい時期でもあるので、エイ(ガンギエイ…地元では“カスベ”と呼ぶ)の干物を戻し、醤油等で甘辛く煮付けたものを祭りの時に食するという風習から、こう呼ぶ。カスベをおいしく煮ることは、土崎の主婦の腕の見せ所である。祭りが近くなると、地域のスーパーマーケットでは「干しかすべ」が大量に販売される。
  • 浴衣祭り … この祭りの異名。昭和に入って町内ごとに浴衣を統一するのが流行り、それが現在でも習慣になっていることから[注 15]。
「振り棒」を務める男性
各町内のスタッフ

曳山については町内行事であり、各町内に一任されているため特に役職についての決まりはないが、統括を計るため委員長、副委員長、警護長、会計長は前もって統前町で結成する総括に名前を登録することが決められている。役職の数、仕事内容については町内ごとに違う。スタッフは、その役割名が書かれたたすきを浴衣や半纏の上にかけている。

  • 委員長 … 各町内の曳山の最高責任者。土崎に住む者にとって、その人生の中で曳山委員長を務めることは、非常に名誉なことである。
  • 町内会長 … 各町内の代表。町内の責任者。
  • 顧問・相談役 … 委員長経験者や町内の伝統・曳山の行事についてのアドバイザー。
  • 副委員長 … 規定では若干名となっているが、2、3名の町内が大半で、委員長のサポート役。
  • 音頭上げ … 曳山を曳き始めるときに、音頭の発声をすること、または、発声をする人。進行長を兼ねる場合もある。曳山の運行の舵取りとして振り棒ややりと呼ばれる突き出た丸太に掴まって向きを変えてる者に指示を出す。
  • 進行長 … 曳山がスムーズに運行されるよう、曳山の進行方向の曲がりの修正をリードしたり、運行計画について指示したりする係。
  • 振り棒 … 曳山が安全かつスムーズに運行されるよう、長い木の棒を車輪に当てて、曳山の速さや進行方向を調節する係。車輪1つにつき1名、合計4名配置される。力が強く、機敏に対応でき、訓練された者でなければ務まらない。そのため、町外から招請した、しかるべき人が行う。
  • 警護長、警護 … 道沿いに立つ観光客や曳山の曳子が怪我をしないように、また、曳子が危険なことをしないように、対処・見張りをする係。
  • 会計長、会計 … 間違いが許されない会計の管理のみならず、自分の町内の曳山が他町内を通るときに、その付近の各世帯を一軒一軒訪ねて少額の寄付金をコツコツと集めるという地味な活動もする係。後者の役割のことを、お金をおねだりしているようであることから、俗に「奴(やっこ)」と言う。
  • 給与長、給与[注 16] … 曳子に供給する弁当、飲み物などを手配する係。
  • 演芸長、演芸 … 演芸(踊り)を行う若手、成人。女性が多い。町外から招いた踊りの先生(振り付け、練習指導を行う。)も含む。多くの町内は踊りを教える方の役職は「演芸師匠」である。
  • 総務長 … 曳山行事の全般をサポートし、各役割がスムーズに実行されるように手配する。中には寄付集めに回るやっこの役目を「総務」としている町内もあるし、金銭の授受を全て総務が行う町内もある。
  • 委員あるいは曳子 … 一般の曳き子として町内が認めた者。

また、町内によっては「氏子総代」、「参与」など他の役職もある。

その他
  • 統前(とうまえ)、統前町(とうまえちょう) … 年番町とも言う。その年度に祭り全体を取り仕切る町内(10年周期の当番制[注 17])。統前町の中から1名だけ選出される「統前町実行委員長」[注 18] は、祭りにおける最高の誉れである。
  • 「電線マン」 … 曳山の上端が電線に引っかからないようにする係の俗称。やぐらの上に乗り、野球グラウンド整備に使うトンボに似た形状の道具を使う。

交通アクセス

土崎駅と駅前
セリオン

祭りのメインストリートは本町通り(ほんちょうどおり = 国道7号線より1本東にある、南北に延びる道)である。

JR土崎駅(秋田駅の北隣の駅)で下車。土崎駅出口(西側のみ)から正面方向(西)に直進、徒歩3分で左手に土崎神明社(= 土崎地区の中心に位置)。さらに徒歩3分の直進をすれば本町通りの土崎駅入口交差点。そこから左(南)に少し歩くと、露店が多く、最もにぎやかな地点。

祭り当日は交通規制があり、周辺の道路も渋滞するため、車で本町通り近辺に直接アクセスすることは困難。遠方から車で向かう場合は、遠巻きにホテルなどに駐車して、そこから徒歩・電車・バスなど。

ポートタワーセリオン(タワー、道の駅あきた港)付近から徒歩で国道7号線を渡って本町通りに向かっても、10分程度である。
なお、「土崎港曳山まつり総合本部」「土崎港曳山まつり実行委員会」「秋田臨港警察署」および統前町の連名で毎年配布される交通規制図では、「セリオン」の駐車場が案内されている[24]。

関連人物

(いずれも、土崎港の出身。出身町名は、寄稿文において本文内またはプロフィールに書かれたもののみ記載。)

各年の奉納曳山

戦後(1946年以降)に奉納された曳山は、以下の通りである。出典としては、『みなと祭りのしおり』・『港曳山祭りのしおり』(土崎経済同友会、1972年第1号以降)の各号の2頁から記載の曳山紹介を最優先で参考にし、さらに同しおりの第16号・第21号の図表も参考にした。

  • 表中、各曳山の数字は号車番(1971年以前の号車番は不明のため、丸印で記載)。
  • 赤塗り(黒丸印および太字号車番)は統前町の曳山。
  • 緑塗りは有志曳山。

1946年(昭和21年)から1988年(昭和63年)まで

西暦下2桁46474849505152535455565758596061626364656667686970717273747576777879808182838485868788西暦下2桁
和暦(昭和)21222324252627282930313233343536373839404142434445464748495051525354555657585960616263和暦(昭和)
台数4654478981535111095411757912711111211122013161614131310141316141512台数
穀保町●○●○●○132520171615穀保町
御蔵町御蔵町
新城町○○○○○●○○●2316201616161513新城町
上酒田町○●○●5211012上酒田町
下酒田町○○○○●813816611下酒田町
幕洗川一区○●●12121711151316幕洗川一区
幕洗川二区●15710510117幕洗川二区
幕洗川三区幕洗川三区
新柳町○○○●15111311131717新柳町
愛宕町○○○○○○○○○○●○○●221518181215122018愛宕町
古川町●○○1261181578古川町
永覚町○○73永覚町
稲荷町稲荷町
加賀町●○●677加賀町
小鴨町●○●○51026363小鴨町
清水町一区○○○○●○○620771110清水町一区
清水町二区○○●8810683610清水町二区
清水町三区○○○○○○○●○○7125127115812清水町三区
本山町○○●103856本山町
旭町一区○○○○○○○●○725106611旭町一区
旭町二区○○●○○○663835旭町二区
旭町三区○○○○●○○5117363510510旭町三区
壹騎町一区○○●○○27333253壹騎町一区
壹騎町二区○●○○○○○●○○○○338552262252壹騎町二区
肴町○●○●○6257肴町
菻町○○○○○○●○●○○○53菻町
新町○○○○○●○●232222新町
将軍野一区○○○○●○●○○○1781312138121111121212177将軍野一区
将軍野二区○●●○○121810151310131313将軍野二区
将軍野三区○○○○●●○○1315111615131215158将軍野三区
将軍野四区●●○101181512716813将軍野四区
将軍野五区○●111316101668171015将軍野五区
港北町1117710181116港北町
相染町○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○●○○11111111111111111相染町
相染町建七会22相染町建七会
港有志会○港有志会
台数4654478981535111095411757912711111211122013161614131310141316141512台数
和暦(昭和)21222324252627282930313233343536373839404142434445464748495051525354555657585960616263和暦(昭和)
西暦下2桁46474849505152535455565758596061626364656667686970717273747576777879808182838485868788西暦下2桁

1989年(平成元年)以降

西暦下2桁899091929394959697989900010203040506070809101112131415西暦下2桁
和暦(平成)元23456789101112131415161718192021222324252627和暦(平成)
台数181119112116201718232021232022222019252421221924252024台数
穀保町222326252228262527233126233130穀保町
御蔵町御蔵町
新城町2321212728262230273028新城町
上酒田町112122151717201616上酒田町
下酒田町711101313151115161515下酒田町
幕洗川一区181221202320212525212721幕洗川一区
幕洗川二区201122181823231320162312161825幕洗川二区
幕洗川三区122525222522232830263025幕洗川三区
南幕洗川1818262525262121252521272725252228282227南幕洗川
新柳町2122202321232726282323新柳町
愛宕町17132317222020222022272218262220232623222126272026愛宕町
古川町6121558710710121110108658268古川町
永覚町7877永覚町
稲荷町7稲荷町
加賀町5106766366加賀町
小鴨町338536285555355小鴨町
清水町一区10610116812108清水町一区
清水町二区871081310117101311111213清水町二区
清水町三区7771088151288108157清水町三区
本山町8116871212138771581013136本山町
旭町一区66513866681110671278121111旭町一区
旭町二区8312651157108661056101010旭町二区
旭町三区55211753657551176711512旭町三区
壹騎町一区22632535333253壹騎町一区
壹騎町二区373535633332632壹騎町二区
肴町5227273肴町
菻町323332232菻町
新町222222222222新町
将軍野一区101313111612201715101715121612171312131813131520251117将軍野一区
将軍野二区11151711161118161317111612131217151213172310将軍野二区
将軍野三区1216181017161712171510151111161118228将軍野三区
将軍野四区131810151312181520171620162020161622181320将軍野四区
将軍野五区152021151316211817211721211717201521将軍野五区
港北町162116161517212523182220251723港北町
若松町16202023221817222122181823211622若松町
鉄道社宅10178201312111313151816181518161820181521171218鉄道社宅
相染町111111111111111111111111111相染町
台数181119112116201718232021232022222019252421221924252024台数
和暦(平成)元23456789101112131415161718192021222324252627和暦(平成)
西暦下2桁899091929394959697989900010203040506070809101112131415西暦下2桁

上記のほか、号車番が与えられない企画用の曳山として、1992年に「元町商店会」によって2台の曳山が、1993年には「ふれあいみなとカーニバル実行委員会」によって‘昔の曳山’が出されている[30]。また、2013年には土崎神明社鎮座四百年を記念して‘復元曳山’が披露されている。

各町内名(旧町名)の読みと由来については、記事「土崎港」の「旧町名」の項を参照。ただし、港北町(こうほくちょう)、鉄道社宅、南幕洗川(みなみまくあらいかわ)、若松町(わかまつちょう)の4町内は、1970年代以降に新しく土崎神明社奉賛会に加盟し曳山を奉納するようになった町内である。新参加の経緯の一例としては、南幕洗川のサイト が参考になる。

なお、「幕洗川」という地名は、1968年(昭和43年)の住居表示実施前は「秋田市土崎港寺内字幕洗川」と「秋田市寺内字幕洗川」の2町名があり、前者は幕洗川一区・二区・三区として従来から祭りに参加していたが、後者(寺内幕洗川)のうち寺内幕洗川二区が南幕洗川となり新たに参加にいたったものである。

「将軍野(しょうぐんの)」という地名も、住居表示施行前は「秋田市土崎港寺内字将軍野」[31] と「秋田市寺内字将軍野」の2つの大字にまたがっており、前者は旧町名(= 祭りの町内名)将軍野一区から将軍野五区までの5町内として従来から土崎神明社の氏子であり祭りにも参加している。これらは全て現在の住居表示でも町名「土崎港」(土崎港東や土崎港北の一部)の中に入る。一方で、現在の住所表示名である「将軍野」は、「土崎港」の東に隣接する別の地区であるが、そのほとんどは旧「秋田市寺内字将軍野」であり[32]、これらは祭りには参加していない。

子供曳山

もっぱら子供に曳かせるための曳山を子供曳山(こどもやま)という。号車番は付与されず、御幸曳山や戻り曳山にも参加しない。

戦後、通常の曳山奉納の実績がない御蔵町も、子供曳山は出したことがある。

1972年以降の子供曳山[23]
  • 1975年 - 旭町三区
  • 1980年 - 旭町三区
  • 1981年 - 上酒田町、下酒田町、将軍野二区、将軍野四区
  • 1982年 - 穀保町
  • 1989年 - 鉄道社宅、御蔵町
  • 1991年 - 御蔵町
  • 1994年 - 穀保町
  • 1996年 - 穀保町

脚注

  1. 曳山行事の直前に土崎経済同友会が土崎地区全世帯に毎年配布しているガイド冊子の名称は現在『港曳山祭りのしおり』であるが、2004年(第33号)までは『みなと祭りのしおり』であった。
  2. ただ、梅雨明けの発表時期よりは早い。 それでも7月20日の秋田市は長雨の年でも晴天になる確率が高く、「祭りの日は晴れる」とも言われている。
  3. 以前は「曳山車」と書いていたが、文化財の指定にあたり「車」の文字をはずすことになった。
  4. 2008年現在52町内が奉賛会に加盟しており、そのうち曳山を所有する町内は35町内。
  5. 会所となる場所は、多くの町内の場合、町内集会所であるが、一般の住宅や倉庫を会所とする町内もある。
  6. 秋田市内全体の措置でないため、この日に休校した分の穴埋め日がいつ設けられているのかは不明。
  7. 地元では音だけの花火を‘のろし’と呼ぶ。
  8. 俗に、戻り曳山の反対語として「行き曳山(いきやま)」とも呼ぶ。
  9. 曳山が渋滞しやすいため、前の号車が進むまでの時間つなぎで演芸を行うこともある。
  10. 酒に酔っている曳子が多いことから、俗に「酔っ払いやま」とも言う(ただし、泥酔者には曳山を曳かせない)。
  11. 太平洋戦争後に血なまぐさい場面が多いと禁止されていたが、少し軟らかく復活させたのだという。
  12. 天然物の材料が入手困難になってきている。
  13. 演芸は昭和期に入ってからの風習だが、「踊りを奉納する」と表現することが多い。
  14. 1931年に、現在の新町(しんまち)(当時の下新町)が芸者衆に踊りを披露させたのが、一般の曳子の踊りの初めと言われる。
  15. 町内によっては、浴衣ではなく半纏で揃えるところもある。また、演芸をする者が半纏で揃える町内、はたまた、戻り曳山のときだけ半纏を着用する町内もある。
  16. サラリーマンの給料とは違う意味であることに注意。
  17. 従来は9年周期であったが、町内が増え、3町内から5町内で統前を取り仕切るようになっているのに対し、相染町が12町内で仕切るので、相染町が5年ごとに統前を実施することと決め、統前のサイクルは10年に変更された(事実上の実施開始時期は、2010年に相染町が統前を務めたときから)。
  18. 2006年から「統前町実行委員長」。『みなと祭りのしおり』・『港曳山祭りのしおり』第8号 - 34号によれば、過去には「年番町祭典委員長」(1979年 - 1982年)・「年番町祭典総括委員長」(1983年 - 1984年、1988年 - 1990年)・「年番町総代」(1985年)・「祭典総括委員長」(1986年)・「統前町祭典総括委員長」(1987年)・「年番町大祭典委員長」(1991年)・「大祭典委員長」(1992年、2001年、2003年 - 2005年)・「大祭典総括委員長」(1993年 - 2000年、2002年)。

出典

  1. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、1頁
  2. 「土崎神明社祭の曳山行事」文化庁公式HP
  3. 土崎港曳山まつり実行委員会
  4. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、142-143頁
  5. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、84頁
  6. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、28頁
  7. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、60-67頁
  8. 港ばやしの曲目(港ばやし保存会)
  9. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、170-171頁
  10. 曳山行事(土崎神明社)
  11. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、137-158頁
  12. 細川レコード 2013年7月閲覧
  13. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、68頁
  14. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、77-83頁
  15. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、37頁
  16. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、41-42頁
  17. イザベラ・バード「日本奥地紀行」
  18. 1991年、港和会顧問 大川正二作成の図表による(秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、96頁)
  19. 秋田市 土崎支所 土崎港曳山祭り を参照。
  20. 野城千穂 (2020年4月21日). “秋田)土崎の曳山まつり中止 戦後初”. 朝日新聞. https://www.asahi.com/articles/ASN4N7X9CN4NULUC01S.html 2020年4月21日閲覧。
  21. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、153-154頁
  22. 秋田市教育委員会・「土崎港祭りの曳き山行事」調査記録委員会編集『土崎神明社港祭り曳き山行事』土崎神明社社務所、1993年、137-142頁
  23. 土崎経済同友会『みなと祭りのしおり』・『港曳山祭りのしおり』第1号 - 40号(1972年 - 2011年)
  24. 平成24年土崎港曳山まつり交通規制図(PDF)
  25. 『港曳山祭りのしおり』土崎経済同友会、第40号(土崎地区全世帯配布)、2011年、表紙
  26. 土崎神明社奉賛会『曳山 土崎神明社祭の曳山行事伝承活用テキスト』秋田市教育委員会、2002年、78頁
  27. 銭谷名誉会長逝去(土崎神明社)
  28. 秋田魁新報 2010年3月24日4面 喪主名での銭谷象二郎死亡広告に「長男 銭谷眞美」の記載あり。
  29. 秋田魁新報 2010年3月25日3面 土崎神明社名での銭谷象二郎死亡広告に「当神社奉賛会名誉会長 銭谷象二郎殿」の記載あり。
  30. 土崎経済同友会『みなと祭りのしおり』第21号(1992年)、第22号(1993年)
  31. 秋田市住居表示旧新対照一覧 ツ
  32. 秋田市住居表示新旧対照一覧 シ(将軍野)

関連項目

外部リンク

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