塚原村
塚原村(つかはらむら)は、かつて富山県射水郡にあった村。旧・新湊市の南西部で、現在は射水市の西端に位置する塚原地区である。
| つかはらむら 塚原村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1953年10月5日 |
| 廃止理由 |
編入合併 塚原村 → 新湊市 |
| 現在の自治体 | 射水市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
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| 地方 | 中部地方(北陸地方) |
| 都道府県 | 富山県 |
| 郡 | 射水郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 隣接自治体 | 大島村、新湊市、高岡市 |
| 塚原村役場 | |
| 所在地 | 富山県射水郡塚原村寺塚原→松木 |
| 座標 | 北緯36度45分38秒 東経137度03分49秒 |
| ウィキプロジェクト | |
歴史
由来
1456年の記録に「越中国塚原保」が確認できる。 塚原の地名の由来は定かではない。もともとこの地域は三歩市村(さんぶいちむら)と呼ばれており、少なくとも1596年より前に寺塚原村と沖塚原村に分離したとされている。
沿革
新湊市への編入までの経緯
塚原村は当初、1950年6月に村議会で高岡市への合併を決議していた。高岡市では、塚原村の議会が紛糾し多数決となっていたことから、編入の受け入れに難色を示していた。新湊市の旧作道村と接しているから新湊市へという意見と、高岡市の旧牧野村と接しているから高岡市という意見が交錯する中で、1953年9月、合併についての臨時村総会が開かれ、多数決で新湊市への合併を決議、富山県は10月3日を以て新湊市への編入を告示した。新湊市への編入に反対していた人たちは、塚原地区分離期成同盟を作り、連日新湊市役所や県庁へ分離の陳情を重ね、1954年5月に塚原地区の住民が新湊市役所で七日間も座り込みを行い、1957年には小学校児童の登校拒否の手段を実行し、市長に分離を迫った。この様な運動は、1959年に新湊市と分離期成同盟会との間に覚書が交わされるまで続いた[2][1]。
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『新湊市史 近現代』 新湊市史編纂委員会 編 新湊市、1992年
脚注
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