大倉集古館
大倉集古館(おおくらしゅうこかん)は、東京都港区虎ノ門二丁目にある日本初の私立美術館である。日本・東洋の古美術を中心に収蔵する。運営は公益財団法人大倉文化財団。
The Okura Museum of Art | |
|---|---|
![]() 大倉集古館
![]() 大倉集古館 (東京都区部) | |
| 施設情報 | |
| 専門分野 | 日本・東洋の古美術 |
| 収蔵作品数 | 約2,500点 |
| 管理運営 | 公益財団法人大倉文化財団 |
| 建物設計 |
伊東忠太(1927年) 谷口建築設計事務所(2019年)[1] |
| 延床面積 | 1,948.13㎡[1] |
| 開館 | 1917年(大正6年) |
| 所在地 |
〒105-0001 東京都港区虎ノ門二丁目10番3号 |
| 位置 | 北緯35度40分1.1秒 東経139度44分36.0秒 |
| 外部リンク | http://www.shukokan.org/ |
| プロジェクト:GLAM | |




概要
明治から大正期にかけて大きな財を成し、大倉財閥を創始した大倉喜八郎が、長年に亘って収集した古美術・典籍類を収蔵・展示するため、邸宅の一角(工部省測量師長マクヴェイン官舎跡地)に1917年(大正6年)に財団法人大倉集古館として開館する。開館からまもない1923年(大正12年)、関東大震災によって当時の展示館と一部の展示品を失い、一時休館を余儀なくされたが、伊東忠太の設計と大成土木(現:大成建設)による施工で再建され、耐震耐火の中国風の展示館が1927年(昭和2年)完成し、翌年再開館した[2]。この建築は展示室から長い回廊が伸び六角堂を経て表門に至る壮大なものだった。喜八郎の死後は、その嫡男である大倉喜七郎が近代日本画など収蔵品の充実に努めた。
太平洋戦争時の空襲も乗り越えるが、戦後、敷地内にホテルオークラ(ホテルオークラ東京)が建設されることを受け、一部の建物が整理解体された。1990年(平成2年)展示室は都の歴史的建造物に選定され、1998年(平成10年)には国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
ホテルオークラ東京の建て替えに伴いリニューアル
竣工以来50年が経過し老朽化が顕著となったホテルオークラ東京本館のThe Okura Tokyoへの建て替えに沿って、集古館もリニューアルされることになり、谷口建築設計事務所(谷口吉生)の設計と大成建設の施工で、周りに増築されていた部分が撤去の上で約6m曳家され[1]、免震構造の地下階の増築によって、ロビーやショップ、ホール等が設けられ[1]、2019年(令和元年)9月12日にリニューアルオープンした[1][3]。竣工したThe Okura Tokyoにおける最大の宴会場である「平安の間」には、喜七郎が目指した「平安」のイメージを継承するものの一つとして、集古館が所蔵する喜七郎が蒐集した国宝『古今和歌集序』をモチーフとする壁面装飾が施された[4]。
ギャラリー
出入口周り(2010年11月12日撮影)
入口(2010年11月12日撮影)
(2010年11月12日撮影)
2階回廊(2010年11月12日撮影)
階段室(2010年11月12日撮影)
脚注
- 新建築 2019, p. 61.
- 新建築 2019, p. 60.
- “谷口吉生流「オークラ再生」ここにも! 免震化した大倉集古館が本日開館”. 日経 xTECH. 2019年9月12日閲覧。
- 東京人 2019, p. 107 - 108.
- “第62回受賞作品(2021年)The Okura Tokyo/大倉集古館 継承と革新が織りなす新・和のモダンの極致”. 日本建設業連合会. 2021年11月23日閲覧。
- コレクション 大倉集古館
外部リンク
- 大倉集古館
- 国立国会図書館デジタルコレクション 大倉集古館陳列品目録 1918年
- 公開された大倉集古館『歴史写真. 大正7年6月號』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 大倉集古館 - artscape
- 大倉集古館 - インターネットミュージアム


