奥三河
地理
奥三河が指す範囲は明確ではなく、曖昧な概念であるとされる[1]。北設楽郡を奥三河の中心とすることには異論がないとされる[2]。
中世には現在の北設楽郡北部までが加茂郡であり、また現在の新城市中心部も設楽郡だった[1]。
歴史
奥三河はかつて加茂郡や設楽郡と呼ばれた地域であり、平安時代から高橋新荘(足助荘)、設楽荘(富永荘)として荘園開発がなされ、境川が境界になっていた。16世紀まで現在の長野県根羽村は信濃国ではなく奥三河加茂郡であった。戦国時代末期、徳川氏の三河家臣団のうち山家三方衆の本拠とした地域である。
産業
伝統的に農業・林業が盛んな地域であるが、平地に乏しいため零細規模の農家が多い。設楽町ではかつて木炭加工も盛んに行われた。近年では足助町の香嵐渓や新城市(旧鳳来町)の鳳来寺山、湯谷温泉など自然を活用した観光業にも力が注がれている。名物としては五平餅や鮎の塩焼きなどの他に山菜料理や味噌田楽などがある。
脚注
- 『愛知県史民俗調査報告書 3 東栄・奥三河』愛知県、2000年、前書き
- 『愛知県史民俗調査報告書 3 東栄・奥三河』愛知県、2000年、p.4
- 北三河芸農祭 おいでん・さんそんセンター 2020年10月21日閲覧。
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