富士親時
富士 親時(ふじ ちかとき 生没年不詳)は、室町時代の富士山本宮浅間大社大宮司で、富士氏当主。
凡例 富士親時 | |
|---|---|
| 時代 | 室町時代 |
| 改名 | 又次郎(幼名)→親時 |
| 官位 | 能登守 |
| 氏族 | 富士氏 |
| 父母 | 父:富士忠時 |
| 子 | 富士信盛 |
略歴

明応2年(1493年)十一面観音像の銘
大宮司親時の部分が見える
大宮司親時の部分が見える
富士忠時の子である。文正元年(1466年)の「足利義政御内書」で富士忠時から富士親時への大宮司職の移動を伝えられており、このとき浅間大社の大宮司職に就いている[1]。またその後親時は明応6年(1497年)に、浅間大社の物忌令を発給している[2]。
富士大宮司は富士山の祭祀を司る身であるが、親時は富士山への仏像類の奉納を繰り返した。文明10年(1478年)に父忠時と共に富士山頂の大日堂に仏像を奉納し、明応2年(1493年)5月16日には十一面観音像[3]を富士山頂東賽ノ河原に奉納していることが確認されている。銘文には「檀那富士大宮司親時」とある[4]。この十一面観音像については『甲斐国志』にも記述が残り、『甲斐国志』巻三十五には「東ノ斉ノ河原ト云十一面観音ノ鉄像アリ(中略)檀那富士大宮司親時(中略)明応二年(癸丑)五月十六日…」とある。
脚注・出典
- 文正元年10月11日「足利義政御内書写」(『戦国遺文』今川氏編28号)
- 明応6年7月2日「富士浅間宮物忌令」(『戦国遺文』今川氏編106号)
- 現在は東京都葛飾区の柴又帝釈天に所在
- 富士吉田市歴史民俗博物館、『富士の神仏‐吉田口登山道の彫像‐』P58、2008
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