封隆之

封 隆之(ほう りゅうし、485年 - 545年)は、中国北魏末から東魏にかけての政治家・軍人。は祖裔。小名は皮。本貫渤海郡蓨県[1][2][3]

経歴

北魏の司空封回の子として生まれた。弱冠にして州郡主簿となり、奉朝請を初任とし、直後を領した。汝南王元悦が王府を開くと、その下で中兵参軍となった[1][2][3]

延昌年間、法慶らが大乗の乱を起こすと、隆之は大都督元遥の下で乱の鎮圧にあたり、武城子の爵位を受けた。司徒主簿・河南尹丞を兼ねた。ときに青州斉州の士民たちが乱を起こすと、隆之は北魏の朝廷の使節として説得にあたり、みな降伏させた。永安年間、撫軍府長史に任ぜられた。永安3年(530年)、爾朱栄が殺害され、爾朱兆らが晋陽に拠ると、孝荘帝河内の要衝を任せるため、隆之を龍驤将軍・河内郡太守に任じた。間もなく持節・後将軍・仮平北将軍・河内郡都督を加えられた。隆之が河内郡に到着しないうちに、爾朱兆が洛陽に入り、孝荘帝は殺害された[4][2][3]

隆之は父が爾朱氏に殺害されたため、報復を誓った。普泰元年(531年)2月、高乾らとともに冀州の州城を夜襲して落とし、冀州刺史に推された。高歓が晋陽を出て東に向かうと、隆之は子の封子絵を派遣して滏口で迎えさせた。高歓が信都に入ると、隆之は反爾朱氏の挙兵を熱烈に支持した。中興元年(同年)10月、後廃帝が立つと、隆之は左光禄大夫・吏部尚書に任ぜられた。高歓の下で爾朱兆らの軍と広阿で戦い、これを撃破した。使持節・北道大使となった。中興2年(532年)、高歓が爾朱兆らを韓陵で破ったとき、隆之は城の留守をつとめた。爾朱兆らが敗走すると、隆之は行冀州事となり、捕虜の3万人あまりを諸州に分置した[5][6][3]

間もなく侍中として召された。高歓が洛陽から鄴に軍を返そうとしたとき、隆之は斛斯椿賀抜勝賈顕智らに警戒するよう、高歓に忠告した。間もなく隆之は安徳郡公に封ぜられ、儀同三司に進んだ。麟趾閣で参議して、新制を定めた。亡き妻の祖氏に范陽郡君の位を追贈された。前に受けた富城子と武城子の爵位を弟の子の封孝琬らに譲った[7][8][9]永熙3年(534年)、隆之は先だって妻を亡くしていたことから、北魏の孝武帝が従妹(元明月)をかれにめあわせようとしていると、ひそかに孫騰に言った。孫騰は嫉妬に駆られてかれを害そうと、斛斯椿に告げ口した。斛斯椿は孝武帝に報告した。このため隆之は郷里に逃げ帰った[10][11][12]。孝武帝の召しに応じず、高歓のために晋陽に赴き、并州刺史を代行した。清河王元亶大司馬となると、隆之はその下で長史となった[13][8][14]

天平元年(同年)、東魏の孝静帝が擁立されると、隆之は侍中として入朝し、遷都の議論に参与した。侍中・侍講・吏部尚書・行冀州事となった。陽平の路紹遵が行台を号して乱を起こし、定州博陵郡を落とし、冀州に侵入した。隆之は長楽郡太守の高景らを率いて叛乱軍を撃破し、路紹遵を生け捕りにして、晋陽に送った。元象元年(538年)、冀州刺史に任ぜられ、間もなく開府を加えられた。都督の孛八・高法雄・封子元らが乱を起こすと、隆之は冀州の軍を率いて乱を平定した。元象2年(539年)、侍中としてまた召された。行梁州事に転じ、また行済州事となり、尚書右僕射として召された。武定元年(543年)、北豫州刺史の高仲密が乱を起こそうと、冀州の豪族たちに内応の使者を送り、扇動させた。隆之は説得につとめ、冀州の治安を安定させた。高澄は高仲密の支党を厳罰に処そうとしたが、隆之は追っての処罰をせず、事なきを得た[15][16][14]

隆之は本官のまま行済州事となり、斉州刺史に転じた。武定3年(545年)、在官のまま61歳で死去した。使持節・都督滄瀛二州諸軍事・驃騎大将軍・瀛州刺史・司徒公の位を追贈された。高歓によりさらに使持節・都督冀瀛滄斉済五州諸軍事・冀州刺史・太保の位を贈られ、を宣懿といった[17][18][14]

子女

脚注

  1. 氣賀澤 2021, p. 299.
  2. 北斉書 1972, p. 301.
  3. 北史 1974, p. 893.
  4. 氣賀澤 2021, pp. 299–300.
  5. 氣賀澤 2021, pp. 300–301.
  6. 北斉書 1972.
  7. 氣賀澤 2021, p. 301.
  8. 北斉書 1972, p. 302.
  9. 北史 1974, pp. 893–894.
  10. 氣賀澤 2021, p. 28.
  11. 北斉書 1972, p. 13.
  12. 北史 1974, p. 219.
  13. 氣賀澤 2021, pp. 301–302.
  14. 北史 1974, p. 894.
  15. 氣賀澤 2021, pp. 302–303.
  16. 北斉書 1972, pp. 302–303.
  17. 氣賀澤 2021, p. 303.
  18. 北斉書 1972, p. 303.
  19. 氣賀澤 2021, p. 304.
  20. 氣賀澤 2021, pp. 307–308.
  21. 北斉書 1972, p. 306.
  22. 北史 1974, p. 895.

伝記資料

参考文献

  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6。
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1。
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。
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