小桧山雅仁

小桧山 雅仁(こひやま まさひと、1969年5月7日 - )は、東京都生まれ[1]神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手投手)。現在はTBSラジオ営業統括局営業部に勤務し、担当部長兼任横浜支局長を務めている。

小桧山 雅仁
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市港南区[1]
生年月日 (1969-05-07) 1969年5月7日(54歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1993年4月10日
CPBL / 2002年3月9日
最終出場 NPB / 2001年8月7日
CPBL / 2002年8月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 1992年
獲得メダル
男子 野球
日本の旗 日本
オリンピック
1992野球

バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。

来歴・人物

小学4年の時に野球を始める[1]桐蔭学園高から慶大へ進学。1年春からベンチ入りし、東京六大学野球リーグでは4年生次に春秋連続で優勝に貢献し、ベストナインに選ばれた[1]。通算53試合登板し19勝11敗、防御率2.08、225奪三振。

学生時代はボトル1本も一度に飲めるほどの酒豪だった[2]

大学卒業時にドラフト候補にも上がったがバルセロナオリンピックの日本代表として凍結選手になり、日本石油野球部に進みアマチュア球界のエリートコースを歩む[1]。この間、高校から一貫してバッテリーを組んだのは後に近鉄バファローズ入りした大久保秀昭であった。

アーム式の投法から切れのいい速球とフォークボールを投げ込み[3]バルセロナオリンピック野球日本代表に選抜され、予選リーグ初戦のプエルトリコ戦で9対0の完封勝利を飾るなど、日本の銅メダル獲得に貢献した。ちなみにオリンピックの野球において、一人で完封したのは彼とベン・シーツだけでありアマチュア選手としてはただ一人の記録となってる。同年の日本選手権では対NTT北陸戦で大会タイとなる6者連続奪三振を記録した[1]

その活躍が評価され、五輪代表候補によるドラフト凍結選手の特例で社会人1年目の1992年度ドラフト会議横浜ベイスターズから1位指名を受け、入団。ドラフト指名時の会見では、(横浜大洋ホエールズからの球団名変更発表まもない)横浜ベイスターズの帽子がまだ出回っていなかったために、マークが入った紙製の物(関係者が用意したと思われる)を被って対応していた。背番号は19と24(同年限りで引退した元エース遠藤一彦の背番号)が提示されたが、慶大時代と同じ番号で、六大学リーグ戦では通算19勝、慶大の2季連続優勝も19年ぶりと「19にまつわる縁起の良いエピソード」がそれまでに多かったこともあって19を選択した[2]。大洋→横浜の背番号19は前任者・中山裕章1991年オフに不祥事を起こして逮捕され球団を解雇されたため、「ホエールズ」最終年となった1992年は「事実上の永久欠番」となっていたが、球団側は名称変更を機に次世代を担うルーキーに「19」を背負わせることでこの忌まわしい出来事を払拭する狙いがあり、小桧山も「事件のことは気にしない」と19番を選択した[2]

1993年、当初は先発投手として期待されたが、途中からセットアッパーに転向し怪我で離脱していた盛田幸妃に代わって活躍、小桧山-佐々木主浩とつながるリレーは横浜の勝利の方程式として必勝パターンとなった。そうした1年目からの活躍により、バルセロナ五輪でWエースとして鎬を削った伊藤智仁と再び新人王をかけて張り合ったが、最終的には前半戦で大活躍した伊藤が新人王に選出された[3]。その一方で好物の酒を節制してルーキーイヤーに臨んだものの、強い自信を持っていた自慢の速球がプロの打者相手には確実に捉えられ、焦りから力任せの投球になり、元来の持ち味だった「低めへのコントロール」が鳴りを潜め、球が高めに浮き上がっては痛打を受けるようになった[2]

1994年リリーフとして期待されるが同年は2勝止まりと低迷し、その後は全く勝てなくなるとともに右肘靭帯を断裂。

1997年にはチームがヤクルトスワローズと激しい優勝争いを繰り広げている中で左肘から腱を移植するトミー・ジョン手術を受けた[2]

1998年は一軍登板なしに終わり背番号19を剥奪(翌年から戸叶尚が着用)され30番に変更された上、年俸は入団時の1000万円を下回る950万円(推定)まで減額された[2]。このような低迷ぶりから本人はトレードを志願したが、球団は小桧山の高校・大学の後輩である慶大・高橋由伸(後に巨人入り)の獲得を目指していたため、先輩である小桧山をその“駒”として温存しようという狙いから放出しなかった[2]

1999年4月29日、横浜-広島4回戦に3番手投手として登板、5年ぶりに通算6勝目を挙げる。この年、チェンジアップを武器に自己最多の4勝を挙げ復活の兆しをみせたが[2]、独特のアーム投法がボール先行を招くことも多く、プロの世界では微妙なコントロールに難があり、その後は目立った活躍を見せることができなかった。

2001年シーズン限りで横浜を退団し、同年12月には奇しくも背番号19の前任者・中山とともに台湾・中華職業棒球大聯盟(CPBL)の和信ホエールズ(翌2002年シーズンより「中信ホエールズ」に球団名を変更)に入団した[4]

2002年の夏に再び肘を故障。投げられなくなり、中信にはしばらくコーチとして残るも同年限りで退団[3]

野球の仕事にこだわっても難しいと思い、野球以外の仕事にも当たってみるつもりで、大学の先輩であるTBSアナウンサーの松下賢次に相談し、松下の紹介でTBSの入社試験を受けた後、2003年TBSラジオに入社し、営業部に勤務。

2010年は『エキサイトベースボールプロジェクトリーダー』としてTBSラジオ エキサイトベースボールの営業を担当[3]

2014年、元TBSラジオ954情報キャスターの白井京子と結婚[5]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1993 横浜 448000394--.25041699.18564921854035332.991.35
1994 256000230--.40026358.15194102417029264.011.58
1995 160000010--.00010020.22141911182018187.841.94
1996 10000000------112.0520003003313.102.50
1997 50000000------295.083600700101018.002.80
1999 205000410--.80019345.14231800392023193.771.32
2000 40000000------266.071100910334.501.33
2001 70000000------6112.216170111001174.971.82
2002 中信 2015100760--.538442105.0921144021024051443.771.30
NPB:8年 122190009144--.3911099249.123529141352131601321194.301.51
CPBL:1年 2015100760--.538442105.0921144021024051443.771.30

記録

NPB

背番号

  • 19 (1993年 - 1998年)
  • 30 (1999年 - 2001年)
  • 18 (2002年)

脚注

  1. プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、228ページ
  2. “【12月18日】1992年(平4)横浜、最初のドラ1は小桧山、背番号はあの「19」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2007年12月18日). オリジナルの2008年1月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080117003213/https://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_december/KFullNormal20071211157.html 2015年5月14日閲覧。
  3. プロ野球選手からラジオ局の営業マンに転身!元横浜ベイスターズ小桧山雅仁の第二の人生”. CAREERZINE (2010年6月1日). 2010年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月14日閲覧。
  4. 『週刊ベースボール』2001年12月31日号 p.101 「台湾的職棒事情 - TOPICS 小桧山、中山が和信入り」(リポート/戸部良也・陳潤波)
  5. “元横浜ドラ1小桧山氏 ラジオ局婚 キャスターと社内恋愛”. スポニチアネックス (スポーツニッポン新聞社). (2014年12月28日). オリジナルの2018年10月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181024140444/https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/28/kiji/K20141228009532660.html 2018年10月24日閲覧。

関連項目

外部リンク

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