山内豊吉
生涯
家老。奉行野中兼山を糾弾するため、藩主山内忠義に義父の深尾重昌、その子の因幡重照とともに連名で、三箇条の訴書を側近孕石頼母、生駒木工を通じて藩主の山内忠豊に提出し、兼山を失脚させるきっかけをつくった。寛文4年(1664年)2月2日家老職を命じられる。同年5月22日、兼山の召し上げられた領地を預かり、かつ排斥の謀主の一人のため、恩禄1000石加増され、本知と合算すると3530石となり、城付与力3人、郷士11人を預かった。
親族
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