山藤浩三
経歴
秋田県立六郷高等学校時代の1962年、大津びわこ競輪場で開催されたインターハイ、1kmタイムトライアルで優勝。その後法政大学へと進み、1964年東京オリンピックの日本代表選手となり、4000m個人追い抜きに出場し13位。また団体追い抜きにも出場した。
法大卒業後、日本競輪学校第25期生として入学。同期には荒川秀之助、谷津田陽一らがいる。1971年の新人王戦を優勝。その後も1981年頃まで特別競輪(現在のGI)に出場していた。
1984年5月8日、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡[3]。当時の一般紙等の報道によると、多額の借金を苦にした一家心中であると見られている。
脚注
- 山藤浩三 Profile: Olympics at Sports-Reference.comArchived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.(英語)
- 日本自転車振興会公示の選手登録削除日
- 自殺データベース (8) 昭和50年代の自殺 (1975-1984)
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