平山相太

平山 相太(ひらやま そうた、1985年〈昭和60年〉6月6日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。北九州市立田原中学校卒業、長崎県立国見高等学校卒業、筑波大学体育専門学群中退、仙台大学体育学部卒業、筑波大学大学院修了。仙台大学監督教員。元日本代表

平山 相太
名前
愛称 怪物
カタカナ ヒラヤマ ソウタ
ラテン文字 HIRAYAMA Sota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-06-06) 1985年6月6日(38歳)
出身地 福岡県北九州市小倉南区[1]
身長 190cm
体重 85kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足[2][3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2006 オランダの旗 ヘラクレス 32 (8)
2006-2016 日本の旗 FC東京 169 (33)
2017 日本の旗 ベガルタ仙台 0 (0)
代表歴2
2002-2005  日本 U-18/19/20
2003-2008  日本 U-21/22/23
2010 日本の旗 日本 4 (3)
監督歴
2020 FC La Universidad de Sendai
2024 - 仙台大学
1. 国内リーグ戦に限る。2017年12月5日現在。
2. 2010年1月6日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
平山相太

来歴

高校時代まで

小学校2年(8歳[3])からサッカーを始め[4][5]、抜きん出た体格と素質を示した。

中学2年時には地元福岡の東福岡高校のセレクションにも参加したが、九州トレセンで国見高校監督を務める小嶺忠敏の指導に好印象を持ったこととなどから[6]、3学期から長崎県国見中学校へ転校し[7]、2001年に国見高校へと進学。小嶺からは「(かつて国見のエースだった)船越優蔵よりも上」と評価されて[8] 1年時から主力に食い込むと、同年9月には自らの決勝点で高円宮杯を制し[9][注 1]、2年時の第82回天皇杯では、1回戦の山形中央高校戦でハットトリックを記録。2回戦で国士舘大学を破り高校チームながら3回戦でJリーグ王者の磐田と対戦した。

2003年11月にはワールドユースUAE大会U-20日本代表に1年代下から抜擢される。控えFWの立場であったが、坂田大輔以外のレギュラーFW陣にノーゴールが続く中、1次リーグ最終戦・エジプト戦では決勝トーナメント進出を決める貴重な決勝点を挙げ、ポストプレイヤーとしても空中戦をほぼすべて競り勝っていた活躍が認められ、ブラジルとの準々決勝ではスタメンとして起用される。敗れたものの、この試合唯一の得点も決めた。12月から翌年1月に行われた第82回全国高校サッカー選手権では大会前から注目を集め、長崎県代表・国見高の中心選手として得点を量産。大会史上初となる2年連続得点王[5][12]を引っさげ、アテネオリンピックアジア最終予選の日本代表に高校生として唯一選出された。

大学時代

高校卒業を前に、Jリーグだけでなくヨーロッパのクラブからもオファーが来ていたが、恩師小嶺のアドバイス[注 2]もあり[15]、全てのオファーを断って2004年4月からの筑波大学への進学を決断。この選択は、プロスポーツやサッカー界を取り巻く環境面についての議論を呼んだ[注 3]

2004年4月17日の大学リーグデビュー戦(関東大学リーグ1部・対流通経済大学戦)は3800人の観衆が集まるなど注目を集め[17]駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場にマスコミが多数集まりスポーツニュースなどで報道された。なお、大学時代のチームメイトには2学年上にMF藤本淳吾、3学年上にFW鈴木達也、MF兵働昭弘らがおり、木山隆之の指導を受けている。同年のリーグ戦最終節では2得点1アシストを挙げ、優勝に貢献[18]

U-23日本代表としては、同年2月8日の国際親善試合・イラン戦で初先発し初得点を挙げる[15]と、3月のアジア最終予選にもレギュラーとして出場。しかしこの後、U-19日本代表としての活動も重なったことによってオーバートレーニング症候群の一歩手前に陥り、Jリーグクラブへの特別指定選手登録も回避されることになった[19]。U-19代表のトゥーロン国際大会後に症状は回復したが[19]U-23代表では予選で控えだった高松大樹にレギュラーを奪われた。オーバーエイジで参加予定だった高原直泰の離脱もあり、8月にはサッカー競技としては史上最年少[5]の19歳2ヶ月[注 4]アテネオリンピックに出場したものの出場機会を得たのはグループステージ初戦・パラグアイ戦の終盤16分間のみで、チームも1勝2敗で決勝トーナメント進出はならなかった。

2005年は、山本が監督に就いたジュビロ磐田の練習に参加していたが、U-20日本代表の活動を優先し特別指定は見送った[21]。同年6月には、自身2度目のワールドユースに主力メンバーとして[22] 出場し、チームの成績は振るわなかったものの開催国のオランダ戦で1得点を挙げる。この大会終了後の同年7月、オランダリーグフェイエノールトの練習生として短期留学[23]。翌8月にこのシーズンから1部入りしたヘラクレス・アルメロに3年契約で入団することが決まり、筑波大を休学することになった[5]。この時期の心境について後年に「2度目のワールドユースに出場し、2003年のワールドユースの時の自分から何も変わっていない、成長していない。厳しい環境に身を置きたいと強く思った」と述べている[24]

ヘラクレス・アルメロ

2005年8月20日、オランダでのデビュー戦となった対デン・ハーグ戦は後半途中から投入。出場から2分後、味方のフリーキックからヘディングで押し込みプロ初ゴールを挙げると、さらにコーナーキックの折り返しを再び頭で合わせ、デビュー戦2得点でチームを逆転勝利に導いた[25]。同年11月20日の対RBC戦ではリフティングからの技巧的なボレーシュートを決め、現地のサッカー番組の中でベストゴールにノミネートされた[26]。2005-06シーズンは途中出場も多い中、チーム最多の8得点を挙げた[注 5]

2006年1月27日、FIFAが選出する「ベスト・ヤング・プレーヤー・オブ・ワールドカップ2006」にノミネート。4月30日には、サッカーに専念するため、休学中であった筑波大を自主退学。プロサッカー選手としての活動に専念することとなった。しかし、2006-07シーズン、平山を気にかけていたピーター・ボスに代わって新たに監督に就いたルート・ブロート (en) からは信頼を得られず[27]、欧州の移籍期限終了後の9月5日、所属していたヘラクレスを退団。オランダのDFに競り勝つための身体作りと慣れない海外生活から、心身ともに疲弊した状態で日本に帰国した[4]ホームシックのために帰国したともされているが、これは本人が構想外になったことを公言するのを嫌がってのことであった[28]

FC東京

日本に帰国後にはJリーグの複数チームから獲得の打診があり、「学業の両立」が可能で、かつ、「すぐ試合に出られるチーム」を条件に絞り込み、9月10日にFC東京への加入が決定。しかし、ヘラクレス側は平山のこの行動を不服とし、「説明が無い限り(公式戦出場に必要な)国際移籍証明書を発行しない」という声明を発表したが、期限前に証明書は発行され無事に2006年のJリーグ公式戦に出場できる運びとなった。国際移籍証明書がなかなか発行されなかったために日本サッカー協会が選手登録の締切り期限を1日延長した。

2006年、9月30日の対新潟戦でJリーグデビュー(先発出場)した。10月7日の対名古屋戦でJリーグ初得点後、スポンサーの看板(三井住友海上)を蹴り壊してしまい、クラブに損害請求される[注 6]。10月25日、U-21日本代表に招集され出場した対U-21中国代表との親善試合では、相手GKと交錯したボールを手で押し込んでゴールを奪い[注 1]、中国の監督は試合後「マラドーナスタイルにやられてしまった(马拉多纳风格做了。)」とコメントした。

2007年北京五輪アジア二次予選で5試合[注 7] で5得点を挙げるなどU-22代表で活躍。しかし最終予選ではU-20代表組の選手たちが合流すると、復調の兆しが見えない平山は重用されなくなった。

Jリーグでは、出場機会のほとんどが試合終盤からの投入だったものの、9月15日のJ1第25節横浜FC戦で、後半40分からの出場ながらフィールド中央からドリブルでの5人抜きゴールを決めるなど[注 1]、能力の片鱗を示した[29]。FC東京監督の原博実は「ボールの落下地点に早く入ることとか、正確に狙ったところへボールを落とすなどヘディングの技術を磨く必要がある」と、長身ではあるがヘディングに課題があると評していた[30]

2008年からFC東京の監督に城福浩が就任。開幕戦ではスタメンで起用されたが、赤嶺真吾の台頭もあり、その後はサブとしてゲーム後半からの途中出場が多くを占めた。長年期待されてきた北京五輪代表候補にも、2月のアメリカ遠征に招集された位で、本大会の前哨戦として捉えられていた5月のトゥーロン国際大会などには招集されなくなっていたが、ナビスコカップ東京ダービーでハットトリックを決め[注 1][31]、最後の滑り込み招集に望みを託す。しかし、五輪代表の最終メンバーには招集されず、オリンピック2大会連続出場は叶わなかった。

2009年5月、城福からの「試合に出られそうなときとそうでないときで練習でのプレーにムラがある。サッカー選手は選手寿命が短いのだから時間の使い方がもったいないのではないか」との指摘や[32]NHKの番組[注 8] にてプロ野球選手・小笠原道大(当時読売ジャイアンツ所属)の練習姿勢に感銘を受けた事などが重なり、「プロとしての自覚が足りないことに気付き、極限の努力をするべき」だと意識改革を試みる[32]。以降は出場停止となった2試合を除き全試合にスタメン出場。6月20日のJ1第14節戦では身体の強さを活かし、チェックに来たDF小林祐三を吹き飛ばしてゴールを決めた。以降、ゴール量産こそならなかったが、体躯を活かしたプレーで貢献[注 9]。このシーズン、15得点の活躍を見せた石川直宏からは「前に起点ができるおかげで、ぼくらが前に行ける。FWだからゴールに近い位置でプレーしたいはずなのに(ポスト役をこなしてくれる)」と平山のポストプレーなどを高く評価した[34]。また、この頃から梶山陽平が「守備では本当に助かっている」と話すなど[35]、運動量と守備意識に改善を見せている[36]。城福からは「バイタルエリアからでも難しいパスを出すことができるが、シンプルなパスを出すところとの判断が甘い」と課題を挙げられている[37]11月3日ナビスコカップ決勝・川崎戦では後半にヘディングでゴールを決め[注 1]、自身プロ入り後の初タイトル獲得に大きく貢献した。

2010年1月6日開催のアジアカップ最終予選イエメン戦(サナア)は、既に日本の本大会出場が決まっていたこと及び年明け早々の厳しい日程だったことからA代表歴の少ない若手選手中心に招集が行われ、平山も初招集された[38]。同試合に途中出場して国際Aマッチ初出場及び代表デビュー戦でのハットトリックを達成し[39]、チームを逆転勝利に導いた。デビュー戦でのハットトリックは日本では史上2人目[注 10]、途中出場では初となる快挙だった。翌2月のキリンチャレンジカップにもイエメン戦で初選出された選手[注 11]の中では唯一招集され、監督の岡田武史から「期待以上。ゴール前で迫力がある」と絶賛される[40] プレーを見せたが、同月開催の東アジア選手権では無得点に終わり、同年開催のワールドカップの代表候補から外れた。

Jリーグでも得点を狙う動きが増え、開幕戦では決勝点を決めたが、それ以後が続かず、5月1日のJ1第9節広島戦では「チームとして点が取れない中での変化が欲しかった(城福)」[41] という理由で、コンディション不良でないにもかかわらず前半中に交代を命じられた。8月4日に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップでは1ゴール[注 1]1アシストの活躍を見せ、タイトル獲得に貢献。対戦相手であるLDUキト監督のバウサは「(平山の)身長の高さに手こずった、彼がいると自分たちのコントロールが効かなくなり悩まされた」と評価した[42]。また、同試合のPK戦では真っ先に辞退を申し出ており[43] PK戦への苦手意識を見せている。10月23日のJ1第27節・新潟戦でも自らが倒されて得たPKを梶山に譲った[44]大熊清が監督に就任した第24節以降は、中心選手として[45] スターティングメンバーに固定され、前線からの守備やポストプレーによる[46] 攻撃の起点として[47] 貢献するもチームはJ2降格を喫した。また、この年はワールドカップ招致アンバサダーも務めた。

2011年は、前年終盤に活躍の兆しが見えたこともあり[48]リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとして構想されていたが[49]、4月10日の練習試合中に脛骨腓骨を骨折[50]。自身初の負傷による長期離脱を経験した。2012年シーズン序盤にかけて復帰したものの、5月に腓骨・短腓骨筋を挫傷し、再離脱[48]

コンディションを取り戻して以降も、2012年から監督に就任したランコ・ポポヴィッチは、平山にはブランクがあるとして[51][52] 控えに置いていた[53] が、練習試合で得点を量産するなど[54][55] 気を吐き[56]2013年4月3日ナビスコカップ・名古屋戦で760日ぶりに公式戦先発出場[57]。この年、FWには渡邉千真がレギュラーに入り好調を保っていたが、平山は攻撃の起爆剤としての役割をこなし[58]、J1第23節鳥栖戦でJ1での3年ぶりの得点を挙げた[注 1][59]。この後も限られた出場時間の中、好ペースで得点を重ねた[3]

2014年エドゥーとのポジション争いを続ける中[60] 好調を維持し[61][62]、相手を背負うボールキープと相手の背後を突く動きの両方を巧みにこなしていたが[63]、J1第21節浦和戦で相手選手からの危険な[64] タックルによって[62] 右足首内果を骨折した[64]。同年監督に就任したマッシモ・フィッカデンティは、同年のベストゲームを問われた際にこの試合の平山が負傷するまでの30分間と答えており[65]、平山不在はチームにとって大きな痛手となった[66]

2015年、自ら志願して[67] 背番号を9に変更。リーグ戦開幕前に昨年固定していた髄内釘を除去[68][69]。この影響で更に復帰に時間を要し、同年は2試合出場に留まった。リハビリ中には「予備動作が凄い」とアリツ・アドゥリスのプレー映像を繰り返し見ていたという[68]

2016年は、完調では無い中でも[70] 強行出場し[71] 4月24日の1st第8節甲府戦では1年8か月ぶりの先発出場。ここぞの場面で決める決定力を発揮して[72] 出場時間当たりの得点率においてリーグ最高値を記録した[73]

ベガルタ仙台

2017年、ベガルタ仙台へ完全移籍[74][75]。日本国内での移籍はキャリア史上初となった[76]。長身を活かしたヘディングシュートやポストプレー、またFC東京時代からのチームメイトで同年から仙台に完全移籍した三田啓貴との連携を期待され[76][77]、開幕節はスタメンこそ逃したもののベンチ入りを果たす。この試合では終盤に交代出場する予定だったが、交代用紙を提出した直後にチームが先制したため取りやめとなり、出場機会がなかった[78]。その翌日の練習試合で左足首を負傷し離脱[79]、11月までチームの練習に合流できず、シーズンを棒に振った。またプロ入り後初めて公式戦の出場がないシーズンとなった[80]

一旦は2018年シーズンに向けての契約更新が発表されていた[81] が、開幕直前の2018年1月26日になりクラブから現役引退が発表された[82]。度重なるケガのためだとしている。

その後、仙台大学に入学[83]。また、サッカー解説者としても活動。

2018年3月3日、味の素スタジアムでのJ1第2節・FC東京対ベガルタ仙台の試合でDAZNの解説を担当。試合終了後、引退セレモニーが開かれ、両チームのファン・サポーターに感謝の意を述べた。

現役引退後

2018年は仙台大学サッカー部セカンドチームの監督を務め、2019年からトップチームのコーチに就任[84]、2020年は東北社会人サッカーリーグ2部南に所属する同サッカー部の社会人登録チーム「FC La Universidad de Sendai」の監督として登録された[85]

仙台大学卒業後は筑波大学大学院に進学し[86]、2022年は筑波大学蹴球部コーチに就任した[87]

2024年1月1日、仙台大学サッカー部監督に就任が発表された。4月からは教員としても活動する[88]

所属クラブ

ユース経歴
  • 1993年 - 1995年 小倉東サッカースポーツ少年団 (田原小学校[4])
  • 1995年 - 1997年 ながながサッカークラブ (田原小学校)
  • 1998年 - 2000年 田原中学校[4]
  • 2000年 国見中学校
  • 2001年 - 2003年 国見高校
  • 2004年 - 2005年 筑波大学蹴球部
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001国見高14---2121
2002--3333
オランダ リーグ戦 リーグ杯KNVBカップ 期間通算
2005-06 (en) ヘラクレス17エールディヴィジ318--318
2006-07 (en) 910--10
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006FC東京39J172-0072
2007132052032257
20082428432358
20092649431389
201030761444012
2011J210-0010
2012J140100050
20132153031276
20141936122276
2015920000020
20161552021196
2017仙台00000000
通算日本J1 168333710201322556
日本J2 10-0010
日本 --5454
オランダエールディヴィジ 328--328
総通算 201413710251726368
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2012FC東京1310
2016920
通算AFC 30

その他の公式戦

出場歴
ハットトリック

タイトル

長崎県立国見高校
筑波大学
FC東京

個人

  • 全国高校サッカー選手権大会 得点王 (2002年、2003年)

代表歴

  • 2010年01月06日:国際Aマッチ初出場 - アジアカップ最終予選 vs イエメン代表 (アリムフシン)

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 4試合 3得点 (2010)
日本代表国際Aマッチ
出場得点
201043
通算 43

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2010年1月5日イエメンの旗サヌアアリー・ムフセン・スタジアムイエメンの旗 イエメン○3-2岡田武史AFCアジアカップ2011予選
2. 2010年2月2日日本の旗大分九州石油ドームベネズエラの旗 ベネズエラ△0-0岡田武史キリンチャレンジカップ2010
3. 2010年2月6日日本の旗東京味の素スタジアム中華人民共和国の旗 中国△0-0岡田武史東アジアサッカー選手権2010
4. 2010年2月11日日本の旗東京国立競技場香港の旗 香港○3-0岡田武史東アジアサッカー選手権2010

ゴール

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2010年1月6日イエメンサナアイエメンの旗 イエメン○3-2AFCアジアカップ2011予選
2.
3.

指導歴

  • 2018年 - 仙台大学コーチ
    • 2020年 FC La Universidad de Sendai監督
  • 2022年 - 2023年 筑波大学蹴球部コーチ
  • 2024年 - 仙台大学監督[88]

監督成績

年度クラブ所属リーグ戦カップ戦
順位勝点試合Jリーグ杯天皇杯
2020U仙台東北2部南5位189603--

出演

映画

CM

関連書籍

  • 高部務『平山相太 世界へ続くウイニング・ゴール』鹿砦社、2004年。

脚注

注釈
  1. いずれも国立霞ヶ丘競技場陸上競技場での得点であり、同競技場との相性の良さは周囲から認められている[10][11]
  2. 小嶺は平山について、国見からプロ入りしたOBの高木琢也三浦淳宏大久保嘉人と比べて筋力が弱く[12]、プロで活躍するようになるまでには時間がかかるという見方を示していた[13][14]
  3. セルジオ越後は自身の持つサッカー誌での連載コラムにて「飛び級でオリンピック代表に選ばれるほどの大器がなぜプロではなく大学進学を選んだのか、つまり大学生活がJリーグよりも魅力があったということで、Jリーグに夢が無いからだ」と記した[16]
  4. 平山以前の最年少出場選手は松田直樹1996年のアトランタオリンピックに19歳4ヶ月で出場した[20]
  5. なお、後に訪日し千葉清水でプレーしたエディ・ボスナーは、このヘラクレス時代の2年間チームメイトであった。
  6. 本人曰く「あんな簡単に壊れるとは思わなかった」。後のインタビューで約15万円で弁償したことを告白している。
  7. 二次予選は全6試合だが、第5戦終了時点で最終予選進出が決まったため、平山を含む主力級の選手は第6戦には招集されていない。
  8. スポーツ大陸』2009年5月10日(BS-1)、5月11日(総合)放送回
  9. 空中戦勝利数は178回でリーグ5位(勝率51.9%)、フリックオン成功数は31回で3位(成功率36%)[33]
  10. 1930年若林竹雄東京帝国大学)が代表デビュー戦で4得点を記録している。
  11. 平山の他、権田修一菊地直哉太田宏介吉田麻也村松大輔酒井高徳青木拓矢山村和也米本拓司渡邉千真永井謙佑大迫勇也[38]
出典
  1. 高部,16頁
  2. 選手データベース”. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月26日閲覧。 WEBサッカーマガジン、2007年2月13日
  3. 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、65頁。
  4. 『FC東京ファンブック 2010』アサヒオリジナル、2010年、21頁。
  5. 有名人スポーツワンポイント講座”. JS日本の学校 (2011年2月). 2014年8月5日閲覧。
  6. 高部,92頁
  7. 高部,109頁
  8. 高部,171頁
  9. “全日本ユース(U-18)選手権 過去の決勝vol.2”. ゲキサカ. (2010年9月2日). http://web.gekisaka.jp/262619_62460_fl
  10. ““国立男”のFC東京・平山決勝ヘッド”. デイリースポーツ. (2013年9月15日). https://www.daily.co.jp/soccer/2013/09/15/0006339094.shtml
  11. “東京-浦和、史上初の5発全ヘッド / J1”. 日刊スポーツ. (2013年9月15日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20130915-1189515.html
  12. 平山相太「国見育ちの真髄」”. 2004年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月26日閲覧。 Sports Graphic Number 594号、2004年1月23日
  13. 高部,202頁
  14. 試合終了後、国見・小嶺忠敏総監督 会見全文(1/3)<決勝 筑陽学園 (福岡) vs国見 (長崎)> Archived 2013年9月27日, at the Wayback Machine.スポーツナビ、2004年1月12日
  15. “大ストライカー出現! 平山U-23デビュー先制弾”. サンケイスポーツ. (2004年2月9日). http://www.sanspo.com/athens2004/football/news/st2004020901.html
  16. 「セルジオ越後の天国と地獄」『週刊サッカーダイジェスト』2004年5月4日号 133頁
  17. 高部,13頁
  18. 平山2得点、大学初Vだ / 関東大学リーグ”. 2004年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月2日閲覧。日刊スポーツ (2004年11月8日)
  19. 『聖地へ! サッカー・アテネ五輪日本代表チーム応援MOOK』ソニー・マガジンズ、2004年、127-130頁。
  20. “平山相太、日本サッカー史上最年少の五輪出場”. サンケイスポーツ. (2004年7月17日). http://www.sanspo.com/athens2004/football/news/st2004071702.html
  21. 平山大学初ハット! / 大学サッカー”. 2005年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月2日閲覧。日刊スポーツ (2005年4月10日)
  22. 《ワールドユース2005》大熊清 監督インタビュー1 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2005年5月24日)
  23. 平山フェイエテスト! 決意の片道切符”. 2005年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月15日閲覧。日刊スポーツ (2005年7月29日)
  24. FC東京NEWS vol.75 2010年11月号 巻頭インタビュー
  25. “平山オランダ鮮烈デビュー 2得点で逆転勝利”. 47NEWS. 共同通信社. (2005年8月20日). https://web.archive.org/web/20130927074235/http://www.47news.jp/CN/200508/CN2005082101000233.html
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  27. 平山の負け惜しみの裏にあるもの。”. Number Web (2006年9月20日). 2014年8月5日閲覧。
  28. 『FC東京あるある』TOブックス、2015年、58頁。
  29. “先発FWサバイバルレース激化 平山『5人抜き』で急上昇”. 東京中日スポーツ. (2007年9月19日). https://web.archive.org/web/20130927150708/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/200709/CK2007091902049964.html
  30. 平山相太は覚醒するか。”. Number Web (2007年8月9日). 2014年8月5日閲覧。
  31. 【2008Jリーグヤマザキナビスコカップ】予選リーグ第6節 平山 相太 選手(FC東京)・杉本 恵太 選手(名古屋)ハットトリック達成 Jリーグ (2008年6月8日)
  32. 週刊サッカーマガジン No.1276 平山相太「極限への挑戦」』ベースボール・マガジン社、2010年、24-25頁。
  33. Jリーグ ディヴィジョン1 データランキング2009 (Stats Stadium調べ) Archived 2010年2月14日, at the Wayback Machine.ひかりTV SOCCER
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関連項目

外部リンク

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