悼公 (秦)
生涯
恵公の子として生まれる。
恵公10年(前491年)10月、恵公が薨去したため、後を継いで秦公となった。
悼公2年(前489年)秋、斉において主君殺しがあり、斉の悼公が即位した。しかし、その4年後(前485年)に悼公も殺され、簡公が即位した。
悼公9年(前482年)夏、晋と呉が黄池[1]において会盟した際、呉王夫差が晋に代わって盟主となり、覇者となった。
悼公12年(前479年)[2]夏、斉で三度主君殺しが起こり、簡公が殺され、平公が立った。この時、簡公を殺した田恒が宰相に就任した。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.